トーマス・ジェファーソンとはどんな人物?世界遺産マニアが解説

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トーマス・ジェファーソン(1743〜1826年)は、アメリカ合衆国の第3代大統領(1801〜1809年)であり、独立宣言の起草者としても有名。彼はアメリカ建国の父の一人であり、政治家という側面だけではなく、弁護士や哲学者、建築家など、多彩な人物もありました。そんなトーマス・ジェファーソンとはどういった人物だったのでしょうか?

今回はトーマス・ジェファーソンがどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、トーマス・ジェファーソンについて具体的に理解できること間違いなし!

目次

トーマス・ジェファーソンとはどんな人物?

トーマス・ジェファーソンの像
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1743年にバージニア植民地(現在のアメリカ・バージニア州)で裕福な農場主の家に生まれました。幼少期から優れた教育を受け、古典や歴史、科学などに親しみ、ウィリアム・アンド・メアリー大学に入学し、哲学を学ぶも卒業後は法律を勉強し、1767年に弁護士資格を取得。弁護士として活動を開始します。

1769年にバージニア植民地議会の議員となり、イギリスの課税政策に反対。1775年にアメリカ独立戦争が勃発し、若くして第2回大陸会議の代表に選出されると、1776年に独立宣言の起草委員会に選ばれます。そして、彼の起草した「アメリカ独立宣言」が採択され、アメリカの独立が正式に宣言。

独立記念館
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1779年にバージニア州知事に就任すると、1785〜1789年にアメリカのフランス駐在大使として、フランス革命直前の社会を体験。そして、1789年に初代国務長官(ジョージ・ワシントン政権)として、外交政策を担当します。1796年、大統領選挙に立候補するも、ジョン・アダムズに敗れ、副大統領に就任。

1800年の大統領選挙でアダムズを破り、1801年にようやく第3代大統領に就任しました。1803年にはフランスからからミシシッピ川以西のルイジアナ領土を1500万ドルで購入し、国土を倍増。1804年にはルイス・クラーク探検隊を西部に派遣し、新領土の地理・自然調査のため探検隊を派遣しています。1807年には奴隷貿易禁止法を成立し、1808年からアメリカへの奴隷輸入を禁止。ただし、国内の奴隷制度は存続していきました。

モンティチェロ
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1809年に大統領職を辞すると、故郷のシャーロッツビルにあるモンティチェロで隠遁生活を送ります。彼は1769年から設計を続けていたモンティチェロを完成させました。ここは彼の邸宅があり、プランテーション(農地)のある場所でもありました。そして、1819年にはバージニア大学を創設し、教育の普及に貢献。1826年には、アメリカ独立50周年記念日に83歳で死去しています。

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独立記念館/アメリカ

リバティ・ベル・センター
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ペンシルバニア州フィラデルフィアは、17世紀に設立されたペンシルバニア植民地が発祥。ここには、アマチュア建築家であったアンドリュー・ハミルトンによって1732〜1752年に建造された館がありました。この赤レンガの建設物は、議事堂として利用されていたもの。

1776年7月4日に、この建物の広間でイギリス植民地13州の代表者が集まり、後にアメリカ大統領になるトーマス・ジェファーソンが起草したアメリカ独立宣言が署名されました。それ以降、この建物は「独立記念館」と呼ばれるようになります。

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シャーロッツビルのモンティチェロとバージニア大学/アメリカ

バージニア大学
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1769年にシャーロッツビルの郊外に建造が始まったモンティチェロは、ジェファーソンが自らデザインして1809年に完成。ここは彼の私邸として建造され、ヨーロッパで過ごしたジェファーソンらしく、邸宅は白いドームがある赤レンガ造りで、16世紀に流行していたイタリアのパッラーディオ風の古典様式も加わっています。

バージニア大学は、シャーロッツビルの西側に位置している大学で、ジェファーソン自らの教育理念を実現するために設立。ここもジェファーソン自ら設計していて、今でも当時と同じ構造が維持されています。これらは18〜19世紀に流行した、ギリシャの芸術を模範とする新古典主義に属するもの。

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世界遺産マニアの結論と感想

彼は大統領として、民主主義の基盤を築いた人物として偉大であり、ルイジアナ買収により国土を拡大し、西部開拓の道を開きました。ジェファーソンは「自由と民主主義」のシンボルとされる一方で、自身も生涯を通じて奴隷を所有していたため、現在の評価は複雑な面も(しかし、彼らを解放する道が見いだせなかったという説も)。

とはいえ、多才な人であり、彼の設計したモンティチェロは世界遺産であり、エリートを多く生み出しているバージニア大学の創設など、さまざまな面でアメリカ社会に今でも貢献していますね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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