マルクス・ウルピウス・トラヤヌス(53〜117年)は、五賢帝の一人で、軍事遠征では勝利を重ねてローマ帝国の最大版図を実現した人物。トラヤヌスが治めた時代は国内に公共施設などが多く築かれ、彼の名前を冠した建造物は今も残っています。そんなトラヤヌス帝とはどういった人物だったのでしょうか?
今回はトラヤヌス帝がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、について具体的に理解できること間違いなし!
トラヤヌス帝とはどんな人物?

トラヤヌスは、ローマ帝国(紀元前27年〜1453年)の13代皇帝であり、ネルウァ=アントニヌス朝(96〜192年)は帝国が安定した時期であり、「五賢帝」の一人として称賛される人物。彼はイタリア半島ではなく、ヒスパニア(現在のスペイン)のイタリカ出身で、初の属州出身の皇帝でもあります。とはいえ、父は元老院銀である名門の出ではあり、彼は軍での経験を積み重ね、第12代ローマ皇帝のネルウァの養子に選ばれたことで皇帝へと即位。
トラヤヌスは軍事的成功を収め、特にダキア(現在のルーマニア)を征服したことで有名です(ダキア戦争)。この戦争の結果、ダキア属州を得ることに成功し、ローマは金鉱を含む豊かな資源を獲得しました。また、パルティア(現在のイランを中心とした国家)の一部を征服し、ローマ帝国の領土をペルシャ湾まで広げ、最大版図を実現。
一方、内政でも成功を収め、公共事業に多く建造。首都ローマにはトラヤヌスの市場やトラヤヌスのフォルムなど、壮大な建築物を建設。さらに「トラヤヌスの記念柱」は、彼のダキア戦争での勝利を記念したモニュメントで、これらは今でも残っています。しかし、117年、パルティア戦争中に病に倒れ、ローマに戻る途中に死去しました。彼の後を継いだのは養子のハドリアヌス帝で、彼もまた五賢帝の一人として有名です。
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トラヤヌスの記念柱/イタリア



ローマ旧市街の中央部にある「フォリ・インペリアーリ」は、「皇帝たちの広場」という意味で、多くのローマ皇帝たちが神殿や記念碑を建造しました。その中でも最も北側にある「トラヤヌスのフォルム(公共広場)」は、トラヤヌス帝によって築かれた公共施設が並ぶエリア。
その領域内でも最もシンボル的な存在が、トラヤヌスの記念柱。柱の高さは約30mで台座を含めると約38mもの高さになり、柱にはフリーズ(帯状彫刻)が刻まれていて、これはトラヤヌスがダキアで勝利した2度のダキア戦争をモチーフにしたもの。
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トラヤヌスの市場/イタリア



トラヤヌスのフォルムの北側には、100〜110年にかけて皇帝によって築かれた市場がありました。市場は2階建てで上層階は事務所、下層階には食料やお酒、油といった商店が並んでいて、他にもレストランやエンターテインメントホールがあったというほど。それもあり、ここは人類初の「ショッピングセンター」とも呼ばれています。
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ローマ帝国の辺境-ダキア/ルーマニア



トラヤヌスがダキア戦争(101〜2・105〜106年)によって勝利するとダキアはローマ帝国の辺境の地となり、外敵から金や塩の交易を守るため、要塞を含めたリーメス(境界線)を建造する必要がありました。
ルーマニア全土で100の砦、50の要塞、150以上の塔があったとされますが、形として残存しているのは5箇所程度。リーメスは国内で7箇所あったとされ、山岳地帯や川の近くなどに築かれました。ルーマニア北西部のポロリススムの都市遺跡は、再建された箇所もありますが、当時の様子を現在に残しています。
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ロシア・モンタナの鉱山景観/ルーマニア



ルーマニア西部のアルバ県は、世界最大のローマ時代の金鉱山施設が残る場所。ローマ帝国がこの地を2〜3世紀にかけて支配していました。
ルーマニア中央部に広がるアプセニ山脈は、鉱物資源が豊富で、現在のスペインの金鉱山の採掘が枯渇しつつあったことから、トラヤヌスはこの地方の鉱物資源を狙っていたという背景もあります。その狙いは当たり、この地を獲得すると166年に渡って約500トンの金が発掘。
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ローマ帝国の国境線-ドナウのリーメス(西部分)/ドイツ・オーストリア・スロヴァキア



ローマ帝国は、西はドイツから東はスロヴァキアまで広がる「ゲルマニア」と呼ばれるエリアを征服しようとするも、なかなか攻略できず、ゲルマニアの南西部である、ゲルマニア・スペリオル(上ゲルマニア)を属州するまでに留まり、現在のドナウ川あたりが国境となりました。
ドナウ川沿いには、リーメス(長城)が建設され、見張り台や砦、軍駐屯地などが加わり、強化されていきました。もともとのリーメスは土の堤防だけ築かれたものでしたが、2世紀のトラヤヌス帝の時代になると石で囲まれるようになったのです。
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ティムガッド/アルジェリア



首都アルジェから南東へ約480km、オーレス山の北側に広がる高原に位置するのがティムガッド。ここには1世紀に当時のローマ皇帝トラヤヌス帝によって築かれた軍事植民地だった場所。
2世紀には都市の郊外にまで街区が拡大し、郊外には議事堂や神殿、市場、浴場が建てられ、都市は黄金期を迎えました。この時代に建造された「トラヤヌスの凱旋門」は高さ13mで、ティムガッドのシンボル的存在。
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世界遺産マニアの結論と感想
トラヤヌス帝はローマを最大領土にしただけでなく、多くの市民に愛されていて、その名声は高く、後世の歴史家たちも「理想的な指導者」として称えられました。そして、現在のルーマニア国歌の歌詞にもトラヤヌスは登場し、非征服民であったダキア人の子孫たちにも愛されるほど。まさに彼の治世はローマ帝国の黄金時代の象徴ともいえるでしょう。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。