エジプトといえば、ピラミッドやアブ・シンベル神殿、王家の谷…誰もが知っている世界遺産の宝庫!ところで、エジプトの世界遺産はどれくらいあるのでしょうか?
ここでは、エジプトの世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。
目次
メンフィスとその墓地遺跡-ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯
メンフィスはギザから南へ約20km、ナイル川の西側に位置する遺跡。紀元前3000年頃にエジプト第1王朝がこの地で設立されたとされ、ナイル川はこの周囲でデルタ地域に入るため、エジプト全域を統治するのに最適の地でした。
このエリアには、世界の七不思議の一つ、ギザの大ピラミッドを含め、多数のピラミッド、マスタバ(長方形の墳墓)や神殿など…南のダハシュールまでさまざまな建造物が登録されています。
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古代都市テーベとその墓地遺跡
首都カイロからナイル川沿いに南へ約760km。現在はルクソールという名前の街ですが、ここはかつてエジプト中王国・新王国時代の首都として栄えたテーベがありました。
カルナック神殿などの巨大な神殿や、ファラオたちが眠る王家の谷などが残り、エジプト文明が最も栄えていた時代の人々の生活や建築技術などが今でも見られます。
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アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群
ヌビア地方はエジプト南部からスーダン北部まで広がる地域。「ヌビア」というのは、古代エジプト語の「ヌブ(金)」から由来する言葉で、古代から鉱物資源が多く発掘される場所でありました。
ナイル川沿いにアブ・シンベル神殿やイシス神殿など、壮麗で巨大な神殿が多く残っています。1960年代にユネスコにより「ヌビア水没遺跡救済キャンペーン」が行われ、世界遺産設立のきっかけとなったことでも有名。
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カイロ歴史地区
カイロは、ナイル川によって形成される肥沃なデルタ地帯のほぼ南端に位置する都市で、アフリカでも最大級の都市です。歴史地区はいわばカイロの旧市街といった存在。
10世紀に建造された都市は「ミスル・アル=カーヒラ(勝利者の軍事都市)」と名付けられ、現在のカイロの呼び方はこのカーヒラから由来します。14世紀には世界最大規模のイスラム都市となり、「1000のミナレットが立つ街」と称されたほど。
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聖カタリナ修道院地域
アラビア半島とアフリカ大陸の間に位置するシナイ半島の南部には、標高2285mのシナイ山があります。ここはモーセが十戒を授かった場所として知られており、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の3つの宗教にとって聖地とされてきました。
6世紀には、ビザンツ皇帝ユスティニアヌス1世がモーセが見たという「燃える柴」があったとされる場所に修道院が建造しました。やがて聖カタリナという聖人の棺が持ち込まれ、巡礼者が多く訪れる聖地に。
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アブ・メナ
エジプト第2の都市アレクサンドリアから南西へ約45km。ここはかつて「アレクアンドリアのメナス」と呼ばれる3〜4世紀に活躍した聖人の遺体があった場所に築かれたコプト教(エジプトで発展した原始キリスト教の一派)の聖地。
7世紀にはイスラム教徒により破壊され、現在は教会や洗礼堂、浴場跡などが残る広大な遺跡となっています。近くには現在も多くの信者が集まるコプト教の修道院も存在。
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ワディ・アル・ヒタン(クジラの谷)
ワディ・アル・ヒタンは、首都カイロから南西約150kmの地点にある、ファイユーム県に属する砂漠地帯。ここは4000万年前はテチス海と呼ばれる、浅い海が広がっていたことから、バシロサウルスというクジラの祖先にあたる大型哺乳類が生息していました。
ここで発見された化石は、陸の哺乳類が海洋哺乳類へと進化する過程が分かるという点で非常に貴重なもの。
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世界遺産マニアの結論と感想
エジプトは世界遺産の宝庫!というイメージがありますが、文化遺産が6つに自然遺産が1つという合計で7つのみ。しかし、登録名としては少ないものの、構成資産を含めるとかなりのボリューム。一つの遺産を見るのは1日では物足りないほどなので、ぜひディープに遺跡を味わってみてください!
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい