ヨルダンは国土の80%は砂漠に位置する国家。なんといってもヨルダンといえば、映画『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』のロケ地になったペトラ遺跡があることで有名ですね。ヨルダンの世界遺産=ペトラのイメージがありますが、ヨルダンの世界遺産は合計でいくつあるでしょうか?
ここでは、ヨルダンの世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。
目次
ペトラ
ペトラはヨルダン南部・死海とアカバ湾の間にある渓谷に造られた都市。ここを築いたのは遊牧民であったナバテア人です。彼らはキャラバン交易によって莫大な富を得ました。しかし、2世紀にローマに併合されると徐々に衰退。7世紀にイスラムの支配下になり、12世紀に十字軍の砦が築かれた後は、廃墟となりました。
建築物のほとんどが岩山を削って造られたもの。ここには独創的な貯水システムも見られ、ナバテア人は優れた建築技術を持っていたことが分かっています。
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アムラ城
アムラ城は、首都アンマンから砂漠を越えた位置にあるドーム型の屋根を持つ離宮のこと。8世紀に建造された、ウマイヤ朝時代の要塞であるのと同時に、カリフの隠れ家的存在の建造物でもありました。
浴場ではイスラム教の教義とはほど遠い、裸婦をモチーフにしたフレスコ画など、イスラム教では珍しく世俗的な壁画デザインが見られます。
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ウム・アル=ラサス
ヨルダンの西部に位置するマダバ県の南東は半乾燥地帯。ウム・アル=ラサスは、もともとは3世紀ころにローマ軍の駐屯地あった場所で、5世紀には街へと発展したものの、9世紀以降は廃墟となり、要塞や建築物跡が残っていますが、まだほとんど発掘されていません。
遺跡の北に残る四角柱の塔はかつて塔の上で苦行をするという登塔者たちの修業の跡地で、世界でも唯一現存するもの。
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ワディ・ラム保護地域
サウジアラビアとの国境近くのヨルダン南部にあるのがワディ・ラム。保護地域はほとんどが砂漠地帯で、断崖の間にある細い谷や岩のアーチ、洞窟など数百万年にわたる地球の進化が見られます。
敷地内には、2万5000もの岩面彫刻など、人類がこの地で1万2000年もの間、自然と共に暮らしてきたという人類の進化の足跡なども残る遺産。
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洗礼の地「ヨルダン川の向こう側、ベタニア」(アル=マグタス)
イスラエルとの国境ともなっているヨルダン川。死海から北に約9kmの位置にあるベタニア(アル=マグタス)は、新約聖書に言及される「ヨルダン川の向こう側、ベタニア」として、イエス・キリストが洗礼者ヨハネによって洗礼を受けた場所と信じられてきました。
ここはヤバル・アル・エリアス(預言者エリヤの丘)と聖ヨハネの教会地区に分かれていて、教会や修道院跡などローマやビザンツ時代の遺構が残り、今でもキリスト教徒の巡礼地となっています。
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サルト-寛容と都市的ホスピタリティの場
ヨルダンの首都アンマンから北西へ約30km。サルトはバルカ高原にある3つの密集した丘の上に築かれた町で、ここはパレスチナやシリア、レバノンなどから人々が集まる交易の中心となり、もともとは農村地帯だったものの、商人たちが富を築き上げた結果、都市へと変貌しました。
サルトはイスラム教徒とキリスト教徒が混じり合って暮らし、19世紀〜20世紀初頭までさまざま文化が交差するという「寛容とホスピタリティ」が見られる都市でした。
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ウンム・アル=ジマル/ヨルダン
ヨルダン北部に位置するマフラク県にあるウム・アル=ジマル。ここは1世紀から8世紀まで700〜800年に渡って繁栄した都市でした。4〜5世紀にローマ帝国によって再建され、当時の神殿や貯水池、城壁、門などの遺構が残っています。そして、要塞の機能をもっていました。
ここは砂漠の乾燥地帯に各時代の建築物が多く並んでいて、それぞれ保存状態も良好であるというのが特徴です。
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世界遺産マニアの結論と感想
ヨルダンはペトラだけじゃない!なんと文化遺産が6つ、複合遺産が1つと合計で7つも世界遺産があります。中東に位置するだけあって、キリスト教やイスラム教に関連する遺跡が多く、世界史としての重要なものばかりなので、ぜひディープに楽しんでくださいね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。