モンゴル国は中国とロシアに挟まれた内陸国。今でも遊牧民は草原とともに暮らしいていて、かつての「モンゴル帝国」の本拠地であったことから、それにまつわる遺構や景観も世界遺産に登録。ところで、モンゴルには世界遺産がいくつあるでしょうか?
ここでは、モンゴルの世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。
目次
ウヴス・ヌール盆地(ロシアと共同)
画像素材:shutterstockモンゴル北東部とロシア連邦のトゥヴァ共和国にまたがるウヴス・ヌール盆地。ここは総面積3350平方kmの塩水湖であるウヴス・ヌール湖を中心に、モンゴルには5つの保護区、ロシア側には7つの自然保護区を含めて世界遺産に登録されています。
ここは多種多様な動物が見られ、世界で最も北に位置する砂漠にはトビネズミ、山間部には絶滅危惧種のユキヒョウなどが生息しています。
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あわせて読みたい モンゴル・ロシアの世界遺産「ウヴス・ヌール盆地」とは?世界遺産マニアが解説 モンゴルとロシアとの国境をまたがるウヴス・ヌール盆地は、ウヴス・ヌール湖を中心に、周囲はモンゴルとロシアそれぞれの保護区となっています。ここは多種多様な動物が見られ、世界で最も北に位置する砂漠にはトビネズミ、山間部には絶滅危惧種のユキヒョウなどが生息しています。 ここではウヴス・ヌール盆地がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ウヴス・ヌール盆地について詳しくなること間違なし! オルホン渓谷の文化的景観


画像素材:shutterstockモンゴルの中央部にあるオルホン渓谷は、オルホン川沿いに12万ヘクタールの土地が広がっています。ここは、先史時代から草原とともに文化が発展したという遊牧民の故郷ともいえる場所。そして、広大な遊牧民国家が築かれた後も、ここは彼らの本拠地として文化や宗教の中心地でした。
この地は6世紀頃の考古学遺跡や、12〜14世紀のモンゴル帝国の首都であったカラコラムなど、草原とともに生きた遊牧民族の歴史が繰り広げてきた場所でもあります。
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あわせて読みたい モンゴルの世界遺産「オルホン渓谷の文化的景観」とは?世界遺産マニアが解説 首都ウランバートルから南西へ約360km。オルホン川の両岸には牧草地帯が広がり、この地は6世紀頃の考古学遺跡や、12〜14世紀のモンゴル帝国の首都であったカラコラムなど、草原とともに生きた遊牧民族の歴史が繰り広げてきた場所です。 ここでは、オルホン渓谷の文化的景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、オルホン渓谷について詳しくなること間違なし! モンゴル・アルタイ山脈の岩絵群


画像素材:shutterstockアルタイ山脈は、モンゴルやロシア、カザフスタンにまたがる広大な山脈。ここにはツァガーン・サラー=バガ・オイゴル、上ツァガーン・ゴル、アラル・トルゴイと呼ばれる3つの岩絵遺跡があり、これらは更新生(約258万〜約1万年前)に氷河によって形成された渓谷に位置するもの。1万2000年にわたってモンゴルの文化の発展を示す貴重な岩絵でもあります。
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あわせて読みたい モンゴルの世界遺産「モンゴル・アルタイ山脈の岩絵群」とは?世界遺産マニアが解説 モンゴルの最西端にある3つの岩絵群には、彫刻や墓碑などが点在し、1万2000年にわたってモンゴルの文化の発展を示すもの。紀元前11000~6000年に描かれたものは大型の哺乳類を狩猟をしていたことが分かりますが、その後に作られた岩絵は牧畜への移行し、紀元前1000年初期にはスキタイ人や西暦7〜8世紀にはテュルク系民族など、遊牧生活に移行したことを示すという北アジアの先史時代の共同体の変化が理解できるという点で貴重。 ここではモンゴル・アルタイ山脈の岩絵群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アルタイ山脈の岩絵群について詳しくなること間違なし! 大山ブルカン・カルドゥンと周辺の神聖な景観


画像素材:shutterstockブルカン・カルドゥンは、モンゴル語で「神の山」といったニュアンスを持つもの。ここはモンゴル北東部に広がるヘンティー山脈の中央にあり、モンゴル帝国を築いたチンギス・ハンの生誕地・埋葬地であると信じられてきました。
ここは山だけでなく、川やオボーと呼ばれる石塚なども含めて、シャーマニズムと仏教が融合した山岳信仰が見られます。
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あわせて読みたい モンゴルの世界遺産「大山ブルカン・カルドゥンと周辺の神聖な景観」とは?世界遺産マニアが解説 モンゴル北東部に位置するヘンティー山脈の中央部にある「神の山」ブルカン・カルドゥンは、山だけでなく、川やオボーと呼ばれる石塚などを含めて、シャーマニズムと仏教が融合した山岳信仰が見られます。そして、ここはモンゴル帝国を築いたチンギス・ハンの生誕地であり、死後に埋葬されたと信じられている場所として有名。 ここでは大山ブルカン・カルドゥンと周辺の神聖な景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ブルカン・カルドゥンについて詳しくなること間違なし! ダウリヤの景観群(ロシアと共同)


画像素材:shutterstockロシアとモンゴルにまたがるダウリアは、ダウルスキー自然保護区を含む4つの保護区から構成される遺産でもあります。ダウリアは、モンゴル東部からロシアのシベリア、中国の東北部まで広がる約100万平方kmに渡るステップ地帯を指し、タイガ(針葉樹林)から砂漠へと移行するエリアに草原にまつわる生態系が多く見られるのが特徴。
草原に関連するさまざまな生態系が生息し、マナヅル、ノガン、ゴビスキンカモメ、ハクチョウなどの絶滅危惧種の渡り鳥が訪れる場所でもあります。
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あわせて読みたい ロシア・モンゴルの世界遺産「ダウリヤの景観群」とは?世界遺産マニアが解説 モンゴル東部からロシアのシベリア、中国の東北部まで広がるダウリヤは、半乾燥気候の草原地帯「ステップ」の生態系が見られる地。ここは乾季と雨季による気候変動によって、草原や森林、湖、湿地など草原に関連するさまざまな生態系が生息し、マナヅル、ノガン、ゴビスキンカモメ、ハクチョウなどの絶滅危惧種の渡り鳥が訪れる場所でもあります。そして、モウコガゼルの移動ルートでもあるのが特徴。 ここではダウリヤの景観群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ダウリヤについて詳しくなること間違なし! 鹿石および青銅器時代の関連遺跡群


画像素材:shutterstockモンゴル北部のフブスグル県と中央部のアルハンガイ県には、3つの青銅器時代の遺跡があります。ここでは、ヘレクスルと呼ばれる積石塚(つみいしづか)や彫刻などが現存しますが、その中でもシンボル的存在が「鹿石」。
各地に鹿の絵柄で覆われた石柱が1200も点在しています。これは青銅器時代の遊牧民によって制作されたもので、当時この地で発展した文明の痕跡を残すもの。
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あわせて読みたい モンゴルの世界遺産「鹿石および青銅器時代の関連遺跡群」とは?世界遺産マニアが解説 モンゴル各地には「鹿石」と呼ばれる鹿の絵柄で覆われた石柱が1200も点在しています。これは青銅器時代の遊牧民によって制作されたもので、当時この地で発展した文明の痕跡を残すもの。 ここでは鹿石および青銅器時代の関連遺跡群が、なぜ世界遺産なのか?世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、鹿石および青銅器時代の関連遺跡群について詳しくなること間違なし! 世界遺産マニアの結論と感想
モンゴル単体の世界遺産は4件だけではありますが、ロシアとの共同の遺産を含めると、文化遺産が4つ、自然遺産が2つと合計で6つの世界遺産が登録。かつてのモンゴル帝国の遺構はほとんど残っていなくて少しがっかりするかもですが…むしろ、彼らの足跡は草原などの景観に残っていて、それらが世界遺産として登録されています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。