登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (3), (4) |
登録年 | 1986年 |
カーナーヴォン城は「グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁」の構成資産の一つ。ところで、カーナーヴォン城はその中でもどんな役割を持つ城だったのでしょうか?
ここではカーナーヴォン城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、カーナーヴォン城について詳しくなること間違いなし!
カーナーヴォン城とは?
カーナーヴォンはグウィネズ州の州都。メナイ海峡の東岸にあり、ローマ時代に砦が築かれたことから、砦を意味する「カーナーヴォン」と名付けられました。そして、13世紀にイングランド王のエドワード1世(1239〜1307年)がウェールズ公国を治めるために、現在の石造りの城の建造を開始しました。当時のウェールズは反乱が多かったために、城と市壁を繋げるという城塞都市として設計。その後、何度か戦争を繰り返し、17世紀には放棄されてしまいますが、19世紀になると修復が行われ、現在の姿となります。
城郭は東西に長く、幅が狭く、8の字のような構造をしています。北側の王の門と、東側の王妃の門の背後は未完成となっていて、土台だけは残存。塔は4階建てとなっていて、一番西側にある鷲の塔が最大です。鷲の塔は、エドワード1世の息子であるエドワード2世(1284〜1327年)が生まれた場所。
そういった背景もあり、ウェールズを平定した後、エドワード1世はエドワード2世にプリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ大公)を与えました。よって、1911年には後のエドワード8世がここでプリンス・オブ・ウェールズ叙位式典を行ったということもあり、現国王のチャールズ3世もここで叙位式典を行ったことでも有名。
カーナーヴォン城はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
カーナーヴォン城が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
ビューマリスとハーレフの城は、13世紀後半の軍事建築の特徴でもある二重壁で囲まれた同心円の構造と、中央に合わせたというプロポーションと石積みの美しさという点で非常にユニークな作品です。この2つは国王の主任建築家であり、1290年から1293年までハーレフの司令官であったセント・ジョージのマスター・ジェイムスの傑作であるという点。
登録基準(iii)
当時の政府が結成した委員会によってグウィネズの城を建設する際に、イングランド全域から労働者を連れてきていて、現場で切り出された石の使用についても文書に記録が残っています。それらは建設工事の資金調達の概要も示していて、労働者と住民の日常生活もわかり、中世における貴重な資料の一つであるということ。
登録基準(iv)
グウィネズの城郭と市壁は、13世紀後半から14世紀初頭のヨーロッパの軍事建築で最も優れた例で、当時ここではウェールズの反乱によって妨げられつつも、最小限の修復しかされておらず、砦、跳ね橋、城門、堡塁、地下牢、塔、城壁など、中世の建築様式のさまざまなパターンが見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
カーナーヴォン城は、エドワード1世のウェールズにおける本拠地でもあったということもあり、何度も戦火に遭遇するも修復を繰り返して利用されたために、中世の軍事建築がそのまま残されていて、資料からは中世の生活を辿る資料にもなっているという点で評価されています。
ちなみに、チャールズ3世がこの城で叙位式典を行ったことから、この城で式典を行うのが「伝統」であるというイメージはあるかと思いますが、実際に式典を行ったのはエドワード8世とチャールズ3世の2名だけ。他の王子たちは紙一枚で知らされただけのようで、意外にも地味だった様子。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。