岩手県の世界遺産「無量光院跡」とは?世界遺産マニアが解説

登録区分文化遺産
登録基準(2), (6)
登録年2011年

無量光院跡(むりょうこういんあと)は「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産の一つ。ここは京都の平等院を模した豪華絢爛な寺院があったとされますが、現在は遺構が残るのみ。ところで、無量光院跡はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは無量光院跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、無量光院跡について詳しくなること間違いなし!

目次

無量光院跡とは?

無量光院跡
画像素材:tak1701d(Wikimedeia Commmons)
※「えさし藤原の郷」の復元模型

無量光院は奥州藤原氏、3代秀衡(ひでひら)によって、12世紀に建築。ここは平泉の中心部であった平泉館の敷地であったとされるもの。彼が建立した無量光院には、宇治の平等院阿弥陀堂(鳳風堂)をモデルにした立派な阿弥陀堂があったとされます。

奥州市の「えさし藤原の郷」に再現された無量光院もあるのですが、おそらく本堂の規模は宇治の鳳凰堂と同じ大きさであったと推定されるもの。敷地の西側に金鶏山があり、庭園は夕方になると夕日が本堂の背後に沈んでいくように配置されていました。

奥州藤原氏が滅ぶと火災で焼失し、阿弥陀堂は残っておらず、遺構からその位置が分かる程度。1952年から発掘が行われ、現在は池と中島の復元が進められています。ただ現在でも敷地から金鶏山の山頂に沈む夕日が見られるので、当時の秀衡が見た風景を今でも眺めることが可能。

無量光院跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

無量光院跡
画像素材:shutterstock

無量光院跡が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
中国や朝鮮半島から伝来した仏教が、12世紀に浄土思想として、日本古来の自然崇拝と融合し、平泉で花開いたという点。

登録基準(vi)
平泉には浄土(仏国土)を空間的に演出した建築物や庭園の理念が存在したという点。

世界遺産マニアの結論と感想

無量光院は、奥州藤原氏が建造した豪華な寺院ではあるものの、現在は遺構が残るのみ。しかし、区画は当時のまま残っていて、京都の平等院と同じく、浄土庭園が広がり、金鶏山を中心とした浄土思想を反映したものであるという点で評価されています。

ちなみに、秀衡は源義経を匿ったことから、源義経を主人公にしたストーリーには必ず登場しますが、実は当時の平泉では砂金が発掘できたためにかなりの経済力があり、そういった理由から義経は秀衡を頼っていて、秀衡の遺言では「彼を主君にするように」と言われるほどの関係でした。実はうまくやれば鎌倉幕府を倒せるほどの戦力があったのです。しかし、彼の死後、息子たちの権力争いが発生し、そこを突かれて藤原氏は滅んでしまうのですが…。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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