登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 1987年 |
ブダ城は「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」の構成資産の一つ。王宮の丘に広がるブダ城は何度も破壊と再建を繰り返したため、当時の遺構はあまり残っていませんが、それぞれの時代の建築様式が見られます。ところで、ブダ城はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではブダ城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ブダ城について詳しくなること間違いなし!
ブダ城とは?
ドナウ川右岸に広がる王宮の丘。ブダ城は丘の南側に広がっていて、これらは13世紀のハンガリー王ベーラ4世(1206〜1270年)が建造しました。14世紀にはゴシック様式で改築され、15世紀になると、中世ハンガリーの最盛期を築いたマーチャーシュ1世(1443年〜1490年)がイタリアから彫刻家を呼び、ルネサンス様式に大幅に改築。しかし、16世紀になるとオスマン帝国によって征服され、城は火薬庫となり、爆発事故が発生したため、ほぼ廃墟となります。
現在見られる建物は17世紀に再建されたものですが、19世紀に再度破壊され、ネオ・バロック様式で修復されたもの。現在のハンガリーは王政ではないため、それぞれの建造物はハンガリー国立美術館やブダペスト歴史博物館、国立セーチェニ図書館などに利用されています。
ブダ城はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ブダ城が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ブダ城は、14世紀にはハンガリーでゴシック芸術が発展するきっかけになった建築物。アンドラーシ通りにある地下鉄は、ヨーロッパ大陸初の地下鉄を導入した例となり、ここから各地に広まっていったという点。
登録基準(iv)
ブダ城は破壊によって何度も再建され、各時代の建築様式が分かるという点。そして、国会議事堂はさまざまな様式を取り入れた優れた建築物であり、アンドラーシ通りはネオ・ルネサンス様式の建物が並び、地下鉄は当時の最先端設備を導入した例であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ブダ城は何度も破壊と再建されたため、各時代の建築様式が発展していったということもあり、現在では当時の姿は残っていないものの、その存在そのものが価値があるという点で評価されています。
ちなみに、ブダ城はローマ時代から定住していたらしく、地下にはカタコンベが残っていて、さらには自然の洞窟を利用したラビリンス(迷宮)が広がっています。あまりにも複雑なので、第二次世界大戦中には、ドイツ兵が利用したというほど。もちろん、観光地として開放されているので、冒険気分を味わうことができますよ。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。