世界遺産に登録されている日本のお城はいくつある?それぞれを一覧にして世界遺産マニアが解説

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日本のお城はファンが多く、各地で観光スポットとしても人気が高いですね。しかし、ほとんどが復元されたもので、現存天守は日本でも12箇所しか残っていません!

そんな中で日本で世界遺産として登録されている城はいくつあるでしょうか?ここでは世界遺産に登録されたお城を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説していきましょう。

目次

姫路城/兵庫県

姫路城/兵庫県
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日本で「お城の世界遺産」といえばコレ!兵庫県西部の中心都市である姫路市は、古くから交通の要衝として栄えてきました。17世紀に建造された姫路城は街のシンボルであると同時に、日本の城塞建築の中でも最高傑作とされるお城です。

広大な敷地内には82もの建造物があり、8棟が国宝で、74棟が重要文化財という豪華な構成となっています。別名「白鷺城」ともいわれ、白漆喰で統一された外観は複雑な構造の配置や屋根の重ね方を工夫していて、世界でも例を見ないほどの美しさ。

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二条城/京都府

二条城/京都府
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京都市の中京区にある江戸時代に築かれた平城で、正式名称は「元離宮二条城」。ここは室町時代には足利将軍や織田信長によって邸宅が置かれていましたが、現存するのは徳川家康によって1601年に築城されたもの。3代将軍の家光まで京都の守護と上洛時の宿所を目的としていたものの、江戸時代中期には利用されることがなく、幕末になって再度修復され、利用されるようになりました。1867年に15代将軍の慶喜によって大政奉還が行われた場所として有名。

国宝・二の丸御殿は、狩野派によって描かれた障壁画もあり、豪華絢爛。二の丸庭園は、桃山様式の池線回遊式庭園で、池の中央には蓬莱島、その近くには亀島、鶴島があり、鶴亀を表現するという設計がされています。

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萩城/山口県

萩城/山口県
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山口県萩市にある城下町の西端に位置する指月山(しづきやま)に築かれた梯郭式平山城。1604年に築城されると、江戸時代を通して毛利氏の居城でしたが、1874年に天守・櫓など、ほとんどの建造物が破壊され、現在は石垣や堀のみが現存しています。

ここは三角州に築城され、三方を海に囲まれているというのが特徴。南には本丸・二の丸・三の丸を持つ平城が存在し、北には指月山の頂上に詰丸と呼ばれる山城があり、石垣と土塀で囲まれた城郭があったとされています。現在は二の丸土塀や三の丸総門などが復元。

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原城/長崎県

原城/長崎県

島原半島の南部にある原城は、1496年に有馬氏の当主によって建造されると、1616年には新たに赴任された松倉重政によって廃城となります。島原の乱(1637〜1638年)が発生すると、一揆を起こした農民たちがここに立てこもり、天草四郎を総大将として激しい戦闘を繰り広げ、その際に掘りや土塁などが築かれました。

しかし、最終的に3万7000もの人々は皆殺しにされました。1990年から発掘が始まり、大量の人骨や十字架やロザリオなどのキリスタンの信心具(しんしんぐ)が見つかっていて、石垣や城門、櫓などの遺構があった堅固な城であったことが分かっています。

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首里城跡/沖縄県

首里城跡/沖縄県
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那覇市内にある城跡。ここはかつて琉球王朝の居城で、那覇全体を見下ろすように丘陵地帯に築かれたもの。14世紀には中山王の城として建造され、琉球王国の首都となると、ここは政治や経済、文化の中心地でありました。

ここは二重の城壁に囲まれていて、合計で1080mにもなり、ここは水平に揃えて積む「布積み」や石材を加工する「相方積み」が混在するもの。内郭には9つの門、外郭には4つのアーチ門がありました。

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今帰仁城跡(なきじんじょうあと)/沖縄県

今帰仁城跡(なきじんじょうあと)/沖縄県
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島の北東部に位置していた北山王国(14世紀〜1416年)の居城で、中心部であった場所。琉球王国が成立した後は、王府から派遣された北山監守の城として使用されていました。ここは丘の上に位置していて、川や谷に囲まれた天然の要塞。

城壁は自然の石をそのまま積み上げる「野面積み」が見られ、曲線を描くように囲まれています。ここは県内最大級のグスクとしても有名。

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座喜味城跡(ざきみじょうあと)/沖縄県

座喜味城跡(ざきみじょうあと)/沖縄県
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読谷村の西海岸にあるグスクで、15世紀に有力按司であった護佐丸によって築かれたもの。グスクは丘の上に築かれたため、周囲を見渡すことができ、ここは米軍の基地があったものの、本土復帰後は修理が進められ、アーチ型の城門の保存状態も良好。なだらかな曲線を描く城壁の外周は365mもあります。

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勝連城跡(かつれんじょうあと)/沖縄県

勝連城跡(かつれんじょうあと)/沖縄県
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勝連半島の西側の崖の上に築かれたグスク。12世紀には既に築城が始まったとされ、登録されているグスクの中でも最古のものとされています。現在の勝連城は14世紀に勝連の按司によって建造され、15世紀に阿麻和利がクーデターで城を奪い、居城としたものの、第一尚氏によって滅ぼされ、廃城となります。

ここは南城(ヘーグシク)と北城(ニシグシク)によって構成されていて、自然の丘を利用した石垣で仕切られた曲輪があり、港(南風原集落)も併設されていました。

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中城城跡(なかぐすくじょうあと)/沖縄県

中城城跡(なかぐすくじょうあと)/沖縄県
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中城村に位置する標高約160mの高台にあるグスクで、勝連城とは中城湾の対岸に建つもの。14世紀後半に築かれ、15世紀に座間味城から移封された護佐丸によって、6つの曲輪で構成される現在の姿になりました。ちなみに、護佐丸は最後自刃をしたとされ、ここには護佐丸の墓もあります。

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世界遺産マニアの結論と感想

日本で世界遺産として登録されているのは、遺構として形が残っている分を含めるのなら9件あります。しかし、その中でも建造物として当時から残っているのは姫路城だけ。

他にも形はほぼ残っていないですが、「石見銀山遺跡とその文化的景観」に登録されている、矢滝城跡や矢筈城跡、石見城跡なども、一応「城」であるものの…山城なので遺構もほぼ残っていません。日本には多くの城跡があるのですが、明治以降は保存されなかったため、世界遺産としてはちょっと物足りないというのが現状。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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