登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 2024年 |
ドイツ北部のシュヴェリーンは、湖に囲まれた街。ここには「北のノイシュヴァンシュタイン城」と呼ばれるシュヴェリーン城があり、現在の宮殿は1845年から1857年にかけて建造されたもの。おとぎ話のような外観の城はヨーロッパの歴史主義建築の傑作の一つでもあります。
ここではシュヴェリーンのレジデンス集合群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シュヴェリーン城について詳しくなること間違いなし!
シュヴェリーンのレジデンス集合群とは?
メクレンブルク=フォアポンメルン州の州都シュヴェリーンは、オボトリート族と呼ばれる西スラブ人の部族が支配する地でもありました。10世紀には街の東側に広がるシェヴェリーン湖に浮かぶ島に砦が築かれ、ゲルマン族が支配するようになると、要塞として再建されました。メクレンブルク=シュヴェリーン公国(1347〜1815年、大公国としては1815〜1918年)が成立すると、ここは公爵の居城としてシンボル的存在に。
16世紀ころになると、要塞という機能よりも宮殿(レジデンス)としての役割が強くなり、パウル・フリードリヒ(1800〜1842年)が大公になると、城の再建計画が持ち上がるも途中で亡くなっため、息子のフリードリヒ・フランツ2世(1823〜1883年)によって、現在の城へと再建されました。
これはドレスデンの建築家ゴットフリート・ゼンパーなどの協力を得て設計された、歴史主義建築の傑作であり、フランスのシャンボール城にインスピレーションを得ていて、フランスのルネサンス様式の要素を入れて、大公の権威を示すという役割もありました。
1913年には火事によって、約3分の1が破壊されたものの、後に修復され、博物館や大学などに利用されましたが、現在の城は観光客に開放され、一部はメクレンブルク=フォアポンメルン州議会の議会として利用。敷地内には、中央の広場を中心に建造物が並び、礼拝堂や劇場、博物館などが並んでいます。部屋数は地下室や屋根裏部屋を含めると、合計で900もあるとか。
シュヴェリーンのレジデンス集合群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
シュヴェリーン城が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
シュヴェリーン城は、劇場から馬小屋まで、革命と復興の時代の大公の住居に関連したすべての機能がつまったもの。教会は君主をまつるものであり、ここは文化と政治の中心地として機能していました。イタリアのルネッサンスの影響を受けたネオルネッサンス建築からネオバロック様式、新古典主義建築まで、当時の歴史主義建築の流れを反映した優れた建築複合体であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
シュヴェリーン城は、君主の権威を示した豪華な外見を持つ城であり、儀式用の部屋や住居など、宮廷文化が今でも垣間見られ、周囲の湖と庭園の景観と組合わさり、見事に調和しているという点で評価されています。
ちなみに、城には幽霊が住んでいることで有名。とはいえ、この幽霊の名前はピーターメンヒェン(小人のペーター)と呼ばれ、まさに小人。いたずらをするのですが、なんと泥棒を追い払ったりしたりと、すごく良いやつだそう。それもあり、近くの街では紋章のデザインになったりと人気者。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。