登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4) |
登録年 | 2024年 |
ケニア南東部の沿岸沿いにあるゲディは、11〜13世紀にも遡る交易都市ではありますが、17世紀に放棄されたために、現在は遺構だけが残っています。ここには、広大なモスクや宮殿、城壁の跡など、保存状態が良く、スワヒリ文化において繁栄した都市国家の姿が分かるという点で貴重。
ここではゲディの歴史都市と考古学遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ゲディについて詳しくなること間違いなし!
ゲディの歴史都市と考古学遺跡とは?
ケニア南東部のゲディは小さな町ではありますが、郊外にはかつてこの地で大いに栄えたスワヒリ文化の都市・ゲディが存在していました。ここは6世紀から人が定住したとされていますが、現存する最古のものは11〜13世紀建造と特定された墓標であり、その頃から都市が存在していたとされています。しかし、16〜17世紀にかけて、外敵の侵入や水不足などによって都市は放棄。20世紀前半になって発見され、考古学調査が行われました。
ゲディは周囲を2つの石壁で囲まれていて、内壁は富裕層、外壁は中産階級、壁の外には農民たちが暮らしていました。ここはイスラム教が普及していて、広大なモスク跡が残り、深さ50mもの井戸も現存しています。八角形の墓は、遺跡のシンボル的存在でエマーム(指導者)の墓だとされるもの。首長が暮らしていたとされる宮殿跡は、中庭や謁見の間などがあったとされ、かつての繁栄が見られます。
ゲディの歴史都市と考古学遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ゲディが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
登録基準(iv)
ゲディの歴史都市は、2つの石壁に囲まれた居住区であり、建築物の発展が見られ、スワヒリ文化の時代における独特の景観が広がっているという点。
登録基準(iii)
ゲディの歴史都市は、13世紀ころのゲディの住民たちにおける経済・社会構造の発展を示していて、衰退するまでスワヒリ文化において最も繁栄した都市国家の一つであったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ゲディは、かつてのスワヒリ文化でも繁栄した都市国家であり、遺跡からは当時の建築物の発展が見られ、当時の社会構造が分かるという点でも評価されています。
ちなみに、「スワヒリ」はアラビア語で、海岸や水辺を表す言葉で、この地を14世紀に訪れた旅行家イブン・バットゥータがこの地を「スワヒリ」と名付けたことがルーツ。記録にはないですが、ゲディも旅行ルートの途中にはあったので、彼もこの街を訪れたことがあるかもしれませんね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。