世界遺産に登録されているドイツのお城はいくつある?それぞれを一覧にして世界遺産マニアが解説

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ドイツといえば、グリム童話が編纂された場所だけあって、メルヘンなお城が多いイメージですよね。特に郊外には、中世の世界がそのまま残るお城もあり、物語の世界へと誘います。

そんなドイツで世界遺産として登録されている城はいくつあるでしょうか?ここでは世界遺産に登録されたお城を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説していきましょう。

目次

ブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルスト

ブリュールのアウグストゥスブルク城
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ドイツ西部にある商業都市ケルンは、周囲の地域を含めてケルン司教が治めるという独特のエリアであり、ケルン大司教は神聖ローマ皇帝の選帝侯(皇帝の選挙権を持つ諸侯)を兼ねていて、莫大な経済力を持っていました。

18世紀にバイエルン侯であったマクシミリアン2世の息子であるクレメンス・アウグスト(1700~1761年)がケルン司教になると、ケルン郊外のブリュールに存在していた中世の古城の再建を建築家フランソワ・ド・キュヴィイエに依頼し、豪華な宮殿と郊外の森の中にある狩猟小屋ファルケンルストが設計されました。

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クヴェードリンブルクの聖堂参事会教会、城と旧市街

クヴェードリンブルクの聖堂参事会教会、城
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ドイツ中央部ザクセン=アンハルト州にあるクヴェードリンブルクは、10世紀にオットー家(リウドルフィング家・ザクセン朝)によって支配された町。ハインリヒ1世はここで宮殿を築き、東フランク王国の中心地となると、政治と宗教、商業の中心となりました。

旧市街は14〜19世紀のハーフティンバー様式の木造家屋が1200軒も並び、聖堂参事会教会(聖セルヴァティウス教会)はロマネスク様式の傑作でもあります。

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ヴァルトブルク城

ヴァルトブルク城
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テューリンゲン州のアイゼナハ郊外の山の上にあるのがヴァルトブルク城。ここは11世紀にテューリンゲン伯によって建造された、後期ロマネスク様式の城です。

19世紀に再建されたものの、邸宅や騎士館などは11世紀の建造当時の姿をよく残します。そして、16世紀にマルティン・ルターがこの城に亡命し、新約聖書のドイツ語訳を行った場所としても有名。

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ライン渓谷中流上部

ドイツ西部のラインラント=プファルツ州にあるライン川沿いの渓谷を中心に登録されいていて、60もの小さな町や段々状のぶどう畑、古城などが含まれています。

カッツ城(ネコ城)

カッツ城(ネコ城)
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ザンクト・ゴアールスハウゼンにある城で、もともとは14世紀に建造された城ではあるものの、17世紀に破壊されてしまい、18世紀にはナポレオン・ボナパルトの攻撃によって主塔も破壊され、現在のものは19世紀に再建されたもの。カッツというのはドイツ語で「猫」という意味で、設計した人物が猫に似ていたり、城の外見が猫に似ているという説があります。

シュトルツェンフェルス城

シュトルツェンフェルス城
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コブレンツから南へ約6kmに位置し、ライン川とラーン川の合流地点近くにある城。ここは当時の司教が通行税を調整するために13世紀に建造した城ですが、19世紀に当時のプロイセン皇太子によって、彼の趣味に合うようにネオ・ゴシック様式で再建されています。礼拝堂は、カラフルなリブヴォールト(天井様式の一つ)が特徴で、花壇の装飾もまるでおとぎ話のよう。

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ムスカウ公園(ポーランドと共同)

ムスカウ公園
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公園はドイツとポーランドの間を流れるナイセ川にまたがって広がっています。この公園はこの地に生まれたヘルマン・フォン・ピュックラー=ムスカウ侯爵が1815〜1845年に庭として造園したもの。

もともと一つの公園だったのですが、ドイツ側はムスカウ公園、ポーランド側はムジャコフスキ公園として第2次世界大戦後に分断。公園内には地元の植物が植えられており、風景に溶け込むように配置した庭園用式は、ヨーロッパとアメリカの造園にも影響を与えました。敷地内には、ピュックラーの住まいであった古城や新城が残っています。

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ヴィルヘルムスヘーエ城/ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエ

ヴィルヘルムスヘーエ城/ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエ
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ドイツ中央部にあるカッセルは、かつてはヘッセン地方の中心都市。12世紀にベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエのある丘の上に場所に城が築かれると、13世紀はにヘッセン方伯の城となり、16世紀にはヘッセン=カッセル方伯領の宮廷が置かれました。

ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエというのは「山の公園ヴィルヘルムスヘーエ」という意味で、庭園は17世紀にヘッセン=カッセル方伯カールによってバロック様式の公園として建造されたもの。18世紀になると、カール伯爵の曾孫であるヴィルヘルム選帝侯によってヴィルヘルムスヘーエ城が築かれました。

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番外編.ノイシュヴァンシュタイン城

ノイシュヴァンシュタイン城
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実際に世界遺産ではないのですが、世界遺産の暫定リストに記載されているノイシュヴァンシュタイン城は、アメリカのアナハイムにあるディズニーランドの城のモデルとして有名。

ドイツ南部のバイエルン州に位置するノイシュヴァンシュタイン城は、城主であったルートヴィヒ2世は幼い頃から中世騎士道に没頭していて、彼が即位した後、中世風のメルヘンなデザインの城を建設したことから、まさにここは「19世紀のディズニーランド」的存在でもあります。

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世界遺産マニアの結論と感想

ドイツのお城は、ディズニーランドのお城のモデルになったほどに、メルヘンな世界が広がっています。ノイシュヴァンシュタイン城のイメージがありますが、他にも魅力的な城はたくさんあるので、ぜひディープに楽しんでくださいね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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