登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(3),(4),(6) |
登録年 | 2006年 |
首都・北京から南へ約500km。安陽市にある殷墟は、現在確認できる最古の中国王朝・殷の最後の首都であったとされる場所です。ここでは宮殿や王家の墓が発見され、亀の甲羅に神託の結果を刻んだ甲骨文字も発掘。これは漢字のルーツとされ、世界でも最も古い文字の一つ。
ここでは、殷墟がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、殷墟について詳しくなること間違いなし!
殷墟とは?漢字のルーツになった甲骨文字が発見された場所
中国の中央部である河南省の安陽市に位置する殷墟は、紀元前17世紀頃〜紀元前1046年まで栄えた殷の最後の首都だったとされる場所。殷は現在確認できる中国最古の王朝で、ここは紀元前14世紀ころに第19代盤庚によって首都にされ、12人の王が君臨し、約250年に渡って文化の中心地として繁栄した都でした。
殷墟は東西6km、南北4kmの都市で、北側には墳墓群があり、王墓は8基も残されていて、南側にある丘には王族の墓と宮殿跡が発見。特に第22代王武丁の妻の一人であった婦好の墓は、ほぼ完全な形で発掘され、ここは16人ほどの殉死者と、青銅器や玉石器、貝貨などの副葬品が見つかっています。
特に宮殿などがあるエリアが殷墟の中心と考えられていて、ここには甲骨や青銅器が発見。特に亀の腹甲に神のお告げが刻まれた甲骨文字は歴史の授業でも有名で、世界でも最も古い文字の一つ。漢字のルーツともなっていることから、ここは中国の信仰や社会制度、文化などのルーツともなっていて、重要な遺跡でもあります。
殷墟はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
殷墟が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
殷墟は高度な鋳銅文化が発展していて、周囲に多大な影響を与えていたということ。
登録基準(iii)
遺跡では、甲骨文字の発見だけでなく、太陽暦と太陰暦などを組み合わせたものが導入された高度な社会であったとされ、殷後期の文明の存在を証明しているという点。
登録基準(iv)
王族の墓や宮殿跡は、中国の王墓と宮殿建築のプロトタイプであり、古代中国の建設物の傑作であるということ。
登録基準(vi)
遺跡で発掘された文字が刻まれた甲骨は漢字のルーツでもあり、古代の信仰や社会システムなどの存在を証明するものであるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
殷墟は世界史でもおなじみの甲骨文字が発見された場所で、ここでの鋳銅文化は周囲に影響を与え、王族の墓や宮殿跡は中国の建築のルーツでもあるという点で評価されています。そして、この都市は高度な文明を持ち、甲骨文字からは古代の信仰や社会システムはもちろん、漢字がどのように発展したかも分かるというのもポイント。
殷の第30代帝辛は『封神演義』でおなじみの紂王に該当する人物で、「酒池肉林」などの悪事を働いたことでも知られ、物語では最後に武王によって断首されました。実際に紂王の墓は発見されていないことから、最後は処刑されたか、戦死したか…どちらにせよ、遺体は埋葬されなかったと見なされています。
でも、実は後の王朝である周を正当化するために評判を悪い王にさせたという考察も古代からあったそう。ちなみに、物語に登場する妖怪「妲己」は架空の人物。妻がどういう人物だったかは不明です。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。