登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4), (6) |
登録年 | 1993年(2015年拡張) |
スペイン北部にある「カミノ・フランス(フランス人の道)」は、かつてスペイン北西部にある聖地・サンティアゴ・デ・コンポステーラとフランスを結ぶ巡礼路でフランス人が多く利用した道です。1993年に世界遺産に登録されると、北部の沿岸沿いにある「原初の道」、「内陸バスクの道」、「リエバナの道」も2015年に追加登録されました。
ここではサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミノ・フランセスとスペイン北部の道がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路について詳しくなること間違いなし!
※フランス側のサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は別記事で紹介しています
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミノ・フランセスとスペイン北部の道とは?
「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」とは、スペイン北西部にある中世キリスト教三大巡礼地のひとつ。イエスの十二使徒の一人、聖ヤコブがスペインで伝道を行ったという伝承は6世紀ころから記録に残り、9世紀に聖ヤコブのものとされる墓が発見されました。
そして、当時のアストゥリアス王国のアルフォンソ2世によって墓の周りに聖堂が建設され、11世紀には各地からキリスト教徒が集まる巡礼地となりました。ここには民間人だけでなく、王侯貴族まで訪れるようになり、12世紀の最盛期は年間50万人もの人々が訪れるように。
スペイン北部で登録されているのは、「カミノ・フランス(フランス人の道)」の「原初の道」、「内陸バスクの道」、「リエバナの道」の4つで合計で約1500kmにも及びます。もともとは、フランスの国境の町イルンからビルバオ、サンタンデール、オビエドを経由する「原初の道」を中心とした北部の道が中心でした。
後にフランスからナバーラ王国の首都であったパンプローナ、ブルゴス大聖堂で有名なブルゴス、レオン王国の首都であるレオンを経由する「カミノ・フランス(フランス人の道)」が主流となりました。ここは長さは約738kmにもなり、イベリア半島北部を横断する道として、現在も多くの巡礼者が利用しています。
巡礼路の各地の都市や村々には、巡礼者のための宿舎や教会、病院、修道院などが築かれ、これらも世界遺産として登録。この道は各地を繋いでいたため、文化交流も多く生まれました。そして、巡礼路の特徴として、ホタテガイの標石が点在。これはかつて漁師であった聖ヤコブのシンボルでもあります。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミノ・フランセスとスペイン北部の道はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、イベリア半島とヨーロッパ各地の文化交流を促し、中世だけでなく、その後数世紀に渡って重要な役割を果たしたもの。巡礼路を介して商業活動が行われ、特に建築においては、ロマネスク様式、ゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式などに影響を与えたという点。
登録基準(iv)
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、すべてのキリスト教徒の巡礼路の中でもほぼ完全な形で残っていて、道路沿いに教会や建築物などが並んでいるということ。
登録基準(vi)
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、中世ヨーロッパのさまざまな階級の人々による信仰とその影響力が見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
今でもサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、ヨーロッパにおいても最大の巡礼路で多くの人々が利用しています。巡礼路は11世紀からどの階級も分け隔てなく行われ、巡礼路の周辺の施設はまだ当時のまま残っていて、この道を介して文化や建築が交流があったという点で評価。
ちなみに、ホタテガイは聖ヤコブのシンボルであり、巡礼のシンボルであるのですが、他にも水筒代わりにひょうたんが利用されてきました。しかし、このひょうたんの由来は不明。まぁ、水を入れやすいというだけの理由が濃厚でしょうけど。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。