登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (3) |
登録年 | 1996年 |
ギリシャ北部にある小さな村ヴェルギナは、19世紀に墳墓が発見され、この地がマケドニア王国(前808年〜前168年)の最初の首都のアイガイ(ギリシャ語ではエゲ)であると特定されている場所。ここは300以上の墳墓があり、そのうちの一つは研究の結果、アレクサンドロス大王の父であるフィリッポス2世の墓とされています。
ここではアイガイ(現在名ヴェルギナ)の古代遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヴェルギナについて詳しくなること間違いなし!
アイガイ(現在名ヴェルギナ)の古代遺跡とは?
遺跡はギリシャ北部の中央マケドニア地方のヴェルギナ村にあり、この地方の中心テッサ二ロキから南西に約80kmの位置にあります。ここはかつてはアイガイ(エゲ)と呼ばれる都市とされ、かのアレキサンドロス大王を輩出した、マケドニア最初の王朝であるアルゲアス朝の首都と推定される場所。
丘陵地の南側には宮殿や劇場、アゴラ(広場)跡などが残り、北側には紀元前11世紀から続く300基以上の墳墓が残っています。1977年には3つの王族の墳墓が発掘され、そのうちの一つは遺骨とともに「ヴェルギナの太陽」と呼ばれる古代マケドニアの象徴が描かれた黄金の箱が発見され、ここがアレクサンドロス大王の父であるフィリッポス2世の墓であるとされ、ヴェルギナこそがアイガイであるということがほぼ確定しました。
アイガイ(現在名ヴェルギナ)の古代遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ヴェルギナが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
アイガイの遺跡は、都市の遺構と墳墓群が残り、ここはギリシャ古典芸術が見られます。墳墓からは象牙の肖像画や細密画、金銀の細工などが発見され、これらは古代ギリシャの芸術家による作品であるという点。
登録基準(iii)
アイガイの王家の墳墓やその関連の建築物は、ギリシャの都市国家からヘレニズム期の東方遠征を経て、ローマ帝国への移行期であると考えられ、ヨーロッパの文明の発展へと繋がるものであるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
アイガイの古代遺跡は、かつてギリシャからインド付近まで広がる大帝国を築き上げたアレキサンドロス大王の父であるフィリッポス2世の墳墓があり、葬送品なども豪華であったという点で、ここが首都とほぼ確定されました。そして、墳墓はギリシャの都市国家からローマ帝国の大帝国までヨーロッパの歴史の転換期が見られるという点で評価されています。
ちなみに「ヴェルギナの太陽」は古代マケドニアの象徴であったことから、1991年にユーゴスラビア連邦から独立したマケドニア共和国(現・北マケドニア共和国)の国旗にも使用されました。しかし、ギリシャが大反発して、1995年に国旗のデザインを変更することに。このへんはなかなか難しい問題ですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。