登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4), (6) |
登録年 | 2004年 |
慈尊院(じそんいん)は「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ。ここは高野山の表玄関口のような場所で、空海の母が暮らしていたということでも有名。ところで、慈尊院はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは慈尊院がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、慈尊院について詳しくなること間違いなし!
慈尊院とは?
高野山の麓の九度山町にある真言宗の寺院。ここは高野山町石道の登り口に位置し、ここは空海によって庶務を司る政所(寺務所)が置かれました。空海の母である阿刀氏(玉依御前)が暮らしていたとされ、死後は自作の弥勒仏を廟堂に起き、母の霊を祀りました。ここは弥勒仏の別名が「慈尊(じそん)」であることから、慈尊院と名付けられました。
かつて高野山は女人禁制であり、ここは女性の高野山参りの目的地となっているために「女人高野」とも呼ばれてました。本堂は弥勒堂とも呼ばれ、現在の建築物は鎌倉時代に再建され、木造の弥勒仏坐像が置かれています。
慈尊院はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
慈尊院が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
紀伊山地に残る霊場と参詣道は、神道と仏教が融合が見られ、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を示すということ。
登録基準(iii)
紀伊山地に点在する神社や寺院は、この地の慣習を含めて、1000年以上に渡る日本独自の宗教の発展を示すものであるという点。
登録基準(iv)
紀伊山地は、日本各地の寺社の建築様式に大きな影響を与え、それらの形成のルーツともなっているという点。
登録基準(vi)
紀伊山地の霊場と森林には、1200年に渡って神の宿る地として信仰が維持され、それらが景観に見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
慈尊院は、高野山に関連する古くからの仏教寺院であり、女人禁制の時代の信仰の名残が残っているという点で評価されています。
ちなみに、九度山といえば、関ヶ原の戦いに敗れた真田昌幸・信繁(幸村)親子が長らく流罪として暮らしていた地。彼らの生活はかなり苦しかったようで、生活のために縦糸と横糸を機械で織るという独自の組紐を生産していたことから、その組紐が「真田紐」とよく呼ばれますが、あくまでも後世の宣伝文句だそうで…この組紐の技術としては既に平安時代からあったそうな。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。