登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4), (6) |
登録年 | 2004年 |
青岸渡寺(せいがんとじ)は「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ。熊野那智大社と隣接していて、古くから自然信仰と仏教が融合する地でもありました。ところで、なぜ青岸渡寺は世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは青岸渡寺がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、青岸渡寺(について詳しくなること間違いなし!
青岸渡寺とは?
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある青岸渡寺は、中世から近世までは隣接する熊野那智大社と一体化し、那智権現と呼ばれ、修験道場でもありました。伝承では4世紀に、インドから渡来した僧によって開基され、明治時代になると「新仏分離令」で青岸渡寺が寺院として独立し、社殿などは大正時代に「熊野那智神社」となったために、現在は同じエリア内に神社と寺院が混在するという独特の構造。
青岸渡寺の本堂はかつて那智の滝の滝壺であったという金製の如意輪観音菩薩如を本尊としていたために「如意輪堂」と呼ばれていて、現在のものは1590年に豊臣秀吉によって再建。那智の滝が一望できる三重塔は、20世紀に再建されたもの。
青岸渡寺はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
青岸渡寺が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
紀伊山地に残る霊場と参詣道は、神道と仏教が融合が見られ、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を示すということ。
登録基準(iii)
紀伊山地に点在する神社や寺院は、この地の慣習を含めて、1000年以上に渡る日本独自の宗教の発展を示すものであるという点。
登録基準(iv)
紀伊山地は、日本各地の寺社の建築様式に大きな影響を与え、それらの形成のルーツともなっているという点。
登録基準(vi)
紀伊山地の霊場と森林には、1200年に渡って神の宿る地として信仰が維持され、それらが景観に見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
青岸渡寺は、古くから那智の滝を中心とした自然崇拝と仏教が合わさった神仏習合の修行場であり、日本独自の宗教観がここで続けられていたという点で評価されています。
ちなみに、もともと江戸時代以前は、神仏習合が割と普通であったので、他の熊野本宮大社と熊野速玉大社にも寺院は存在したのですが、それらは明治時代には廃止されたものの、如意輪堂は霊場巡りの番札所の一番目であったためにさすがに廃止できなかったので残されてたという背景があります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。