登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2014年 |
田島弥平旧宅(たじまやへいきゅうたく)は「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産の一つ。ここは風を利用して養蚕を可能とした家屋で、近代養蚕農家の原型として評価。ところで、田島弥平旧宅はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは田島弥平旧宅がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、田島弥平旧宅について詳しくなること間違いなし!
田島弥平旧宅とは?
伊勢崎市境島村にある、養蚕農家の田島弥平(1822〜1898年)の邸宅兼養室が世界遺産に登録。彼は「清涼育」という通風を利用して蚕を育てる方法を開発した人物で、かの渋沢栄一とも交流がありました。
1856年に敷地内にある納屋を改造し、換気のための「越し窓(ヤグラ)」を屋根に付けました。ここから清涼育が本格化。旧宅である主屋は1863年に完成し、2階に総ヤグラという換気のための風通し口が設けられ、瓦葺きの住居でも清涼育を可能としました。これによって清涼育が完成したとされています。ちなみに、彼の子孫は今もここに住んでいて、現在の家は代々受け継いできたもの。
田島弥平旧宅はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
田島弥平旧宅が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
富岡製糸場では、当時のフランスの養蚕技術が早期に伝えられ、20世紀初頭には世界でトップクラスのシェアを誇るようになりました。ここは世界に共有された養蚕技術が早期に確立していたという場所であったという点。
登録基準(iv)
富岡製糸場と関連する絹産業遺産群では、当時の西洋の最新技術を採用しつつも、日本の木造の伝統技術が利用されていました。それは「木造レンガ造り」など和洋折衷の建築様式が見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
田島弥平旧宅は住宅に風通しの良い養蚕納屋を2階に設置するという、独自に発展していった養蚕技術が磨かれた場所であるという点で評価されています。
ちなみに、田島弥平旧宅は世界遺産に登録された後、観光客が増えたものの、内部の見学はできないため、伊勢崎市は近くの旧小学校跡を「田島弥平旧宅案内所」として展示館に改装。この地を訪れた観光客が楽しく学べるようにしています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。