登録区分 | 文化遺産 |
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登録基準 | (1), (2), (3), (4), (6) |
登録年 | 1980年(1990年拡大) |
トラヤヌスの記念柱は「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」の構成遺産の一つ。これはローマ最盛期の皇帝・トラヤヌス帝(53〜117年)のダキア遠征を勝利した記念碑で、113年に建造されたもの。ところで、トラヤヌスの記念柱はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではトラヤヌスの記念柱がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、トラヤヌスの記念柱について詳しくなること間違なし!
トラヤヌスの記念柱とは?

ローマ旧市街の中央部にある「フォリ・インペリアーリ」は、「皇帝たちの広場」という意味で、多くのローマ皇帝たちが神殿や記念碑を建造しました。その中でも最も北側にある「トラヤヌスのフォルム(公共広場)」は、ローマ帝国最大の領土を築いたトラヤヌス帝によって築かれた公共施設が並ぶエリア。
その領域内でもシンボル的な存在が、トラヤヌスの記念柱。柱の高さは約30mで台座を含めると約38mもの高さになり、柱にはフリーズ(帯状彫刻)が刻まれていて、これはトラヤヌスがダキア(現在のルーマニア一帯)で勝利した2度のダキア戦争をモチーフにしたもの。これは113年にダキア遠征を勝利した記念碑として建造されたもので、柱頭にはトラヤヌス像があったとされますが、中世には失われ、現在は1587年に置かれた聖ペテロの像がそのまま残っています。
トラヤヌスの記念柱はどんな理由で世界遺産に登録されているの?



トラヤヌスの記念柱が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
ローマは、古代から現在まで3000年にも及ぶ歴史を持つ芸術的な建築物であるということ。
登録基準(ii)
古代ローマからルネサンス、バロック、新古典主義まで、ローマ発祥の芸術は世界中の都市計画や建築物、芸術の発展に大きな影響を与えてきたということ。
登録基準(iii)
ローマの遺跡は保存状態がよく、現在も当時の芸術と建築技術の高さがよく見られるという点。
登録基準(iv)
ローマは中心部の都市開発は、3000年近くも途切れることなく続いており、古い町並みと現代建築が調和できるようになっているということ。
登録基準(vi)
キリスト教が伝来してから2000年以上の間、ローマはキリスト教世界の中心都市であり、ヨーロッパの文化の基盤であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
トラヤヌスの記念柱は、ローマ帝国最盛期の建築物であり、柱には人物が多く刻まれていてその芸術的・建築的価値が高いという点で評価されています。
ちなみに、柱に刻まれたフリーズはあまりも細かくて現地ではよく見えないと思いますが、ローマ市内のローマ文明博物館には柱を細かく分解した模型があるので、間近でじっくりと眺めたいのなら、そちらに行ったほうが楽しめるかも…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。