登録区分 | 文化遺産 |
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登録基準 | (2), (3), (5), (6) |
登録年 | 2014年 |
ジェティ・ス地区(シルクロード)は「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」の構成資産の一つ。ここはシルクロードでも中国と中央アジアを結ぶエリアで、かつての交易拠点だけでなく、各地に都市国家の遺跡などが多く残っています。ところで、ジェティ・ス地区はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではジェティ・ス地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ジェティ・ス地区について詳しくなること間違なし!
ジェティ・ス地区(シルクロード)とは?
シルクロードの中でも世界遺産として登録されているのは、東は中国の長安から敦煌経由でウイグル自治区を通り、天山山脈を越え、中央アジアに抜けてトルコがあるアナトリア半島を繋ぐという「オアシスの道」の一部。
りょうジェティ・ス地区は、現在のキルギスにある内陸湖イシク・クルを中心としたエリアです。ここは中国の西方にあり、交易で繁栄したソグド人を中心にさまざまな民族の都市国家が存在していました。世界遺産に登録されているのは、北のカザフスタン領・ジャンブール州の「交易拠点」の遺跡、南のキリギス領・チュイ州に残る、アクべシムやバラサグンなどの「中心都市」。
パラサグン
現在のキルギスのチュイ州に位置する遺跡。ここは7〜9世紀にペルシャ系の民族であったソグド人によって建造され、14世紀に滅ぼされるまで、交易で栄えたカラハン朝(9世紀〜1212年)や西遼(1132〜1218年)の中心都市として活躍しました。現在は遺跡となっていますが、11世紀に建造されたモスクのミナレットであったブラナの塔は、かつて46mもの高さがあったとされています(現在は24mだけ現存)。
ジェティ・ス地区(シルクロード)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ジェティ・ス地区が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
シルクロードという広いネットワークは、ユーラシア大陸のさまざな文化が交差し、遊牧民と農耕民族が交流して、建築や都市計画、宗教、生活様式など、さまざまな点で影響を与えたということ。
登録基準(iii)
シルクロードが栄えることで、紀元前2世紀〜紀元16世紀までのユーラシア大陸全体の経済と文化が活性化し、景観を大きく変えていったという点。
登録基準(v)
乾燥地帯のため、交易によって井戸や水路などの知識が持ち込まれ、都市や農地の開発がされていったということ。
登録基準(vi)
シルクロードによって、中国へに仏教とネストリウス派のキリスト教が普及され、他にもマニ教、ゾロアスター教、イスラム教の拡大はシルクロードによるものであったという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ジェティ・ス地区は、北はカザフスタン、南はキルギスにまで広がり、都市や交易拠点の遺跡が残っていて、ここは東西の文化や宗教が交差し、都市開発が行われたことを示すという点で評価されています。
ちなみに、イシク・クルは古代湖であり、キルギスがソ連に属していた時代は外国人は立入禁止であり、その存在は謎に満ちていましたが、なぜか砂浜では陶器が発見されていて、これらは湖底に沈んでいる遺跡の存在を示しています。どうやら湖には16世紀ころまで島があったそうで、水中の遺構が本格的に調査されたら、また世界遺産が増えそうですね…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。