登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(4) |
登録年 | 1997年 |
フランス南西部の都市カルカソンヌは二重に建造された城壁が残り、中世から続く要塞都市。ここは古代ローマ時代から城壁が建造され、13世紀には現在の町並みになるものの、17世紀にピレネー条約が結ばれて以降は重要度は下がりました。19世紀〜20世紀前半には大幅に改築され、美しい景観から現在では国内でも有数の観光地に。
ここでは歴史的城塞都市カルカソンヌがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、 カルカソンヌについて詳しくなること間違いなし!
歴史的城塞都市カルカソンヌとは?
カルカソンヌ市は、フランス南西部のオード県の県庁所在地。一般的に「カルカソンヌ」といえば、現在の都市全体を指し、南東部に広がる城塞都市は「カルカソンヌ=シテ」と呼ばれています。
紀元前6世紀には、この地に住んでいたガリア人が集落を築いていて、3〜4世紀のローマ時代になると外敵の侵入を防ぐために約1200mの城塞を建造。この時代の城壁は現在でも一部見られます。12世紀になるとローマ時代の城壁が改築され、城壁が都市全体を覆うようになりました。この頃に都市の南西部にはサン・ナゼール大聖堂が建設。ここには飛び梁という外壁を外側から支える構造が見られないゴシック様式の建築物です。
そして、13世紀になるとスペイン方面のアラゴン王国との戦いに備えて外側に新たに城壁を建造。この頃にフィリップ3世によってナルボネーズ門、トレゾー塔、サン=ナゼール門などが加えられました。百年戦争でも戦火にさらされることはなかったものの、17世紀にフランスとスペインの国境を定めたピレネー条約が締結されると城壁の重要度は低下して、19世紀まで貯蔵庫として利用されていました。
19世紀に建築家であり、修復のスペシャリストであったヴィオレ・ル・デュクによって修復プロジェクトが進められ、1910年まで続けられました。しかし、現在は円錐形の屋根で修復されている箇所は、調査によると実際に採用されていた屋根は平型であるということが分かり、彼の修復には批判はあるものの、修復のおかげで現在でも城塞都市としてに雰囲気が残り、モン・サン=ミシェルに次ぐほど旅行者が訪れる人気観光地となったの事実ではあります。
歴史的城塞都市カルカソンヌはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
カルカソンヌが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
19世紀後半にヴィオレ・ル・デュクによって行われた修復計画は、その後の建築物の修復工事において大きな影響を与えたという点。
登録基準(iv)
カルカソンヌは古代ローマの城壁を再利用し、巨大な防御で囲まれた中世の要塞都市として優れた例であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
カルカンソンヌは、古代ローマ時代の都市と城壁を改築した中世の要塞都市であり、19世紀後半から行われた修復プロジェクトは、その後の建築物の修復計画に大きな影響を与えているという点で評価されています。
ちなみに、カルカソンヌという名の由来には、カール大帝がイスラム教徒が支配していた城塞を落とすために包囲した際に、大公の后であったカルカスが太った豚を城から落として大帝を欺き、カール大帝の軍は見事に徹底。そして、街中に祝福の鐘を鳴らせたことから「カルカスが鐘を鳴らす」という意味のカルカソンヌになったという伝説から由来しているとか。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。