登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3) |
登録年 | 1987年 |
アメリカ南西部にあるチャコ渓谷は、9〜13世紀にかけて、この地に住むプエブロ族の文化が見られる集落遺跡が点在。少なくとも650を越える部屋を持つ「プエブロ・ボニート」を含めて大きな集落遺跡がいくつも残り、ここはかつては宗教儀式が行われていたと考えられていて、先住民による独自の文化が見られます。
ここではチャコ文化がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、チャコ文化について詳しくなること間違いなし!
チャコ文化とは?
ニューメキシコ州の北西部に位置し、標高2000mに位置するチャコ渓谷は山々に囲まれていて、枯れた土地が広がっています。ここは今もこの地に住むプエブロ族の先祖と考えられているアナサジ族によって、9〜13世紀にチャコ文化が繁栄。10を越える大規模な集落遺跡や小さな集落遺跡が400以上も点在しています。10〜12世紀に最盛期を迎え、ここはもともと宗教儀式を行う場として建設されたとされますが、集落は放射線状に繋がっていて、交易や政治的機能もあったと考えられているもの。
集落は2〜5階建ての日干しレンガを使用した集合住宅で構成されていて、4世紀に渡りアナサジ族の文化が見られ、当時の社会構造を示しています。中でも倉庫が多いということで、ここで暮らす住民が交易を行っていた可能性がある一方、儀式用の「キヴァ」と呼ばれる円形の地下礼拝堂も見られ、宗教儀式が盛んであったと推測されるもの。しかし、12世紀から旱魃が発生し、13世紀に集落は消滅したと考えられています。
プエブロ・ボニート
半円形の集落遺跡で、面積は8000平方mにも渡るチャコ渓谷でも最大規模の集落跡。「美しい村」という意味で、一部は4階建てとなっていて、ここには少なくとも650部屋以上の部屋があり、30を超える「キヴァ」も敷地に点在します。裏側には、メサという巨大な砂岩があり、他の集落同様に集落はこの砂岩の麓に建造されたもの。
チャコ文化はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
チャコ文化が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
チャコ渓谷の集落遺跡は、4世紀に渡ってこの過酷な環境を克服しつつ、独時の文化を発展させたという、当時の人々による建築技術と工学を示しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
チャコ文化が花開いたチャコ渓谷は、標高が高く、枯れた土地に住んでいたアナサジ族によって、日干しレンガを使用した建築物などを造られ、独自の建築技術や文化を発展させていったという痕跡が見られるという点で評価されています。
ちなみに、アナサジ族はチャコ文化だけでなく、「メサ・ヴェルデ国立公園」という、現在は世界遺産に登録されているエリアで、クリフパレスという崖の下に集合住宅を築いたりと、とにかく建築技術に対してはこだわりを見せる民族。生まれる時代が違えば、建築家を大量に輩出していたかもしれませんね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。