登録区分 | 文化遺産 危機遺産2013年〜 |
登録基準 | (2),(4) |
登録年 | 2006年 |
シリア西部にあるクラック・デ・シュヴァリエは、12〜13世紀に聖ヨハネ騎士団によって建造され、難攻不落の城として有名。そして、その北方にあるカルアト・サラーフ・アッディーンは「サラディンの要塞」という意味で、ビザンツ、ヨーロッパ、アラブなど、さまざまな建築様式が見られる城です。
ここではクラック・デ・シュヴァリエとカルアト・サラーフ・アッディーンがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、クラック・デ・シュヴァリエとカルアト・サラーフ・アッディーンについて詳しくなること間違いなし!
クラック・デ・シュヴァリエとカルアト・サラーフ・アッディーンとは?
シリア西部、世界遺産として登録された2つの城は、十字軍時代に活躍した要塞建築の傑作という点で評価されています。
クラック・デ・シュヴァリエ
シリア西部にある都市ホムスから西へ約40kmの位置にある城で、1144〜1271年にかけて、騎士修道会の一つ、聖ヨハネ騎士団の本拠地となった場所。もともとはイスラム王朝によって建造された要塞を利用して、難攻不落の城塞を築き上げたものの、1271年にはイスラム王朝のマムルーク朝によって攻め落とされ、イスラム様式の城へと改装されます。この頃に礼拝堂はモスクへと変更されました。
しかし、16世紀にはすでに軍事的機能がなくなったため、農民の居住地となり、そのまま20世紀までに残り、世界遺産に登録。
カルアト・サラーフ・アッディーン
シリア北西部のラタキア県に位置する要塞。ここは10世紀に当時この地を治めていたビザンツ帝国によって、丘の上にあった城壁を要塞にされたもの。12世紀になると、十字軍によって築かれたアンティオキア公国が現在見られる城へと拡張工事したものの、エジプトのアイユーブ朝の開祖サラディン(サラーフッディーン)によって陥落。このことから「サラディンの要塞」と名付けられました。
その後、14世紀まではマムルーク朝によって利用されたものの、徐々に廃墟となっていきました。
危機遺産
これらの城は2012年にシリア政府の反体制派の拠点となったため、シリア軍によって砲撃されてしまいます。城は破壊されてしまったため、2013年に危機遺産に登録。その後、修復は続いているものの、現在も危機遺産のままとなっています。
クラック・デ・シュヴァリエとカルアト・サラーフ・アッディーンはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
クラック・デ・シュヴァリエとカルアト・サラーフ・アッディーンが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
2つの城は、この地域の要塞建築の発展が見られ、ヨーロッパや中近東の城造りに影響を与えたということ。
登録基準(iv)
十字軍時代の最も保存状態の良いクラック・デ・シュヴァリエは、ヨーロッパの中世の城の原型となり、カルアト・サラーフ・アッディーンもこの時期の要塞建築の傑作であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
2つの城は同じような時代に築かれ、十字軍やビザンツ、イスラムなどの建築様式を加えて発展した要塞建築であるという点で評価。そして、これらはヨーロッパの中世に築かれた城の原型的存在であるというのポイント。
ちなみに、クラック・デ・シュヴァリエは、兵士が常に2000人もの配置されているほどの広大な城で、トイレも12箇所残っています。パンを焼くための大型の竈も見られ、当時の兵士たちの質素な暮らしが分かるという…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。