登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (3), (4) |
登録年 | 1986年 |
インド南部にあるハンピの遺跡は、14世紀〜17世紀中頃に繁栄したヴィジャヤナガル王国の王都だった場所。15世紀に現在の姿になったヴィルパークシャ寺院や16世紀建造のヴィッタラ寺院など、美しい建造物が現在でも多く残っていて、かつて「ヴィジャヤナガル(勝利の都)」というほどに栄えた姿を今に残します。
ここではハンピの建造物群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ハンピの建造物群について詳しくなること間違いなし!
ハンピの建造物群とは?
ハンピとは、インド南部カルナータカ州にある小さな村に残る遺跡。ここは14世紀〜17世紀半に栄えたヴィジャヤナガル王国の王都だった場所。「ヴィジャヤナガル」とは「勝利の都」という意味で、最盛期はインド南部を支配したほどに繁栄しました。ここで見られるドラヴィダ建築はヴィジャヤナガル王国で発展・完成し、柱の回廊で囲まれた巨大な塔が立つという独自の構成が見られます。
そして、ヒンドゥー王朝であったヴィジャヤナガル王国ではありますが、浴場や象の厩舎などはイスラム建築の要素が加えられていて、これはこの王国が多民族・多宗教国家であるということを示しています。ハンピでは200年以上も美しい建築物が作られ、当時ここを訪れた外国人旅行者にも絶賛されるほど。しかし、16世紀にターリコータの戦いという、インド中部のデカン・スルターン朝との戦争で敗北した際にハンピは破壊され、廃墟となりました。
危機遺産(危機にさらされている世界遺産」)
1999〜2006年まで、遺跡保存の必要性が高まったため、一時的に危機遺産に登録されていました。
登録されている主な構成資産
ヴィルパークシャ寺院
ハンピの中心部にある、シヴァ神を祀るヒンドゥー教寺院です。寺院は7世紀から存在していたとされますが、現在見られるものは15世紀のデーヴァ・ラーヤ2世時代に建造されたものがほとんど。16世紀に破壊されたものの、その後もずっと寺院は改修と増築が続けられ、現在も保存状態が良いというのが特徴。
50mの高さを誇る塔門は、9層もの建造物で寺院のシンボルでもあります。敷地も広く、南インドで発展した寺院建築を現在に残す点でとても貴重なもの。
ヴィッタラ寺院
ハンピの遺跡の北東部に位置する寺院跡。ここは16世紀に建造された、ヴィジャヤナガルの寺院建築の集大成でもあるヒンドゥー教の寺院でした。ハンピの遺跡の中では最大規模を誇り、礼拝堂(マンタバ)には、56本の石柱がありますが、ここは叩くと音楽のような音が出てくるということで有名。
そして、内部には馬車のような形をしたガルーダ祠があり、これはハンピのシンボル的存在で、「ラタ(山車)」と呼ばれる、ドラヴィダの建築様式の一種でもあります。
ハンピの建造物群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ハンピの建造物群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
かつてのヴィジャヤナガル王国の首都であったハンピに残る神殿や宮殿はユニークな芸術作品であるという点。
登録基準(iii)
16世紀に最盛期であったヴィジャヤナガル王国の繁栄した姿を現在に残すということ。
登録基準(iv)
16世紀のターリコータの戦いによって破壊され、遺跡とはなったものの、王族や市民、軍人などのための設備跡が残っていて、彼らの生活様式が今でも見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
現在は遺跡となったハンピではありますが、ここに残る遺跡は、現役の寺院もあり、保存状態が良いという点で評価。そして、ここの遺構から人々の暮らしが分かるというのもポイント。
他にもユニークな建築物として、象の厩舎があります。昔は象は戦争において非常に大事な戦力でもあり、労働力としても貴重なものでした。しかし、そんなアジアゾウも今は絶滅危惧種…。今のアジアゾウは人に使われる時代ではなく、人に大事にされる時代なのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。