登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3) |
申請年 | 2024年 |
ハマダーンはイラン西部の高原都市。ここはイランでも最も古い歴史を持つエリアの一つで市内に残る遺構は、かつてここがメディア王国(不明〜前550年)の首都ハグマターナ(エクバタナ)だったとされる証拠でもあります。そして、これらは後のパルティアやサーサーン朝、イスラム時代までに至って都市が繁栄した様子を現在に残すもの。
ここではハマダーンがなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ハマダーンについて詳しくなること間違いなし!
ハグマターナ(エクバタナ)とは?
ハマダーンはイラン西部のハマダーン州の州都。ここは古代ギリシャ語で「エクバタナ」と呼ばれ、古代ペルシャ語では「ハグマターナ」と呼ばれました。ハグマターナは、イラン高原において最も古い都市の一つで、広大な都市であったとされています。ここに都市が築かれた時期は不明ではありますが、古代ギリシャの詩人アイスキュロスが紀元前5世紀にハグマターナについて触れているほどに古い都市。
メディアは、メディア人と呼ばれる民族によって築かれた地で、イランだけでなく、西アジア全域を支配した広大な国でした。初代の王とされるデイオケス(在位:紀元前728〜716年/675年頃)が、紀元前8世紀ころに築いたとされています。ここは7重の城壁があったとされ、巨大な都市だったという伝説が残るほど。とはいえ、メディアの記録はギリシャなどから発見されることが多く、イラン国内での資料が少ないために、詳しいことは分かっていません。
ハマダーン市内には、3つの丘があり、ここからかつての都市の遺構や遺物が発掘されています。北側にある高さ30mの遺丘である「ハグマターナの丘」は、壁だけでなく、多くの遺構や遺物が発見されています。中部にある高さ80mの「モサッラー」にはかつての要塞が発見され、南部の「サンゲシールの丘」はライオンの姿の石像があり、これはアケメネス朝(紀元前550年〜紀元前330年)やパルティア時代(前247年頃〜224年)のもの。
ここはアクメネス朝やパルティアの夏の王都として繁栄し、サーサーン朝(226〜651年)時代にも宮殿が置かれました。そして、イスラム時代には、衰退する時期はあったものの、ここは東西の交易路に位置したため、現代では「ハマダーン」として活気に満ち溢れた都市でもあります。
ハグマターナ(エクバタナ)はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
ハグマターナが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ハグマターナは、この地域の状況だけでなく、他の共同体との繋がりや交易の状況が見られ、人類が長期に渡って自然と共存してきたということがわかるという点。
登録基準(iii)
ハグマターナには、独自の遺跡が多く集まり、塔や区画、水道管、通路など、複雑な都市構造が見られ、6つの異なる時代の遺跡が存在し、手厚く保護されています。これらは各文明の絶頂期のものであったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ハグマターナは、メディア王国の時代からイスラム時代まで、継続的に人類が住み続けた都市であり、市内には特にパルティア時代の独自の建築技術が見られるという点で評価されています。
ちなみに、アレクサンドロス大王は紀元前330年にこの都市を征服して、ペルシア遠征を終わらせたのですが、彼は親友であり、家臣でもあったヘファイスティオンをこの地で亡くしてしまいます。大王は食事をとれないほどに悲しみ、ヘファイスティオンを診察した医師を処刑し、彼を「神」として祀るほど。…大王は彼を愛し過ぎているようにも見られ、なんと二人は男色関係にあったという説が強いそう。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。