登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 1995年 |
チェコ中央部にあるクトナー・ホラは銀鉱山で繁栄した都市で、14世紀にはボヘミア王国の中心地となりました。その富によって壮麗な建築物が多く並ぶようになり、特に16世紀建造の後期ゴシック様式の聖バルボラ教会と18世紀初頭にバロック様式で改築されたセドレツ地区の聖母マリア聖堂は、保存状態も良く、中央ヨーロッパの建築に影響を与えるほどの傑作。
ここではクトナー・ホラ:聖バルボラ教会とセドレツの聖母マリア大聖堂のある歴史都市なぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、聖バルボラ教会とセドレツの聖母マリア大聖堂について詳しくなること間違いなし!
クトナー・ホラ:聖バルボラ教会とセドレツの聖母マリア大聖堂のある歴史都市とは?
中央ボヘミア州の南東に位置するクトナー・ホラは、13世紀後半に銀鉱脈が発見されると、14世紀には首都プラハに次ぐ経済都市になり、王国造幣局が造られ、大いに繁栄しましたが、16世紀に銀の産出量が減ると18世紀には枯渇。その後、街は衰退したため、14〜15世紀当時の繁栄していた時代の建築物が今でも残ります。
聖バルボラ教会
クトナー・ホラの旧市街に位置する聖バルボラ教会は、後期ゴシック様式の傑作。聖バルボラ(聖バルバラ)は鉱夫達の守護聖人で、鉱山町らしい名前を付けられた教会です。14世紀にドイツ人建築家ヨハン・パルレーによって設計されたものの、完成したのは1565年。
もともとの設計図では、現在の建物の2倍ほどでしたが、途中で銀の生産量が減ったため、それに合わせて小さくなりました。やがて教会の内装はバロック様式へと変更されていきますが、建設当時のゴシック様式の部分も残っています。
セドレツの聖母マリア大聖堂
クトナー・ホラ中心部から北東へ約1.5kmの距離にあるセドレツ地区にある大聖堂。もともとは14世紀ころにゴシック様式で建造されたものの、15世紀にフス戦争によって破壊されたため、18世紀にバロック様式に改装されました。
クトナー・ホラ:聖バルボラ教会とセドレツの聖母マリア大聖堂のある歴史都市はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
聖バルボラ教会とセドレツの聖母マリア大聖堂が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
鉱山で繁栄したクトナー・ホラには、壮麗な建築物が多く、聖バルボラ教会は中央ヨーロッパの建築に影響を与えたものであったということ。
登録基準(iv)
クトナー・ホラの聖バルボラ教会とセドレツの聖母マリア大聖堂は、銀鉱山で繁栄した中世の姿を現在でも残しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
クトナー・ホラは、銀鉱山によって繁栄し、その富によって当時としては最上級の建築技術で作られた聖バルボラ教会などは、中央ヨーロッパの建築史において大きな影響を与えたという点で評価されています。
ちなみにですが、クトナー・ホラに残る「セドレツ納骨堂」は18世紀に人骨で作られたシャンデリアや装飾、紋章などが置かれた、世界でも有数のオカルトスポットがあります。あまりにも不気味ですが、相当なインパクトがあるのか、観光地として人気。もちろん、これは世界遺産ではありません…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。