登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (2), (4) |
登録年 | 1992年(2008年拡張) |
ドイツ中央部にある都市ゴスラーのランメルスベルク鉱山は11世紀ころから採掘が始まり、貨幣製造など、約800年にわたって使用されてきたもの。ゴスラーは神聖ローマ帝国の帝国議会が置かれたり、ハンザ同盟に参加したりと繁栄したものの、16世紀以降は衰退したため、中世当時の建造物が現在も残っています。
ここではランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラーとオーバーハルツ水利管理システムがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、これらの遺産について詳しくなること間違いなし!
ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラーとオーバーハルツ水利管理システムとは?
1992年にランメルスベルク鉱山とゴスラーだけが登録されましたが、2008年にはランメルスベルク鉱山近くのオーバーハルツ水利管理システムも追加。
ランメルスベルク鉱山
ゴスラーの南東1kmに位置するランメルスベルク鉱山は、ローマ時代から採掘が始まったと考えるほどに古くから金属が採掘されてきた場所。ここは大量の銀が採掘されるようになり、11世紀に神聖ローマ皇帝のハインリヒ2世が「オットー・アーデルハイト・ペニヒ」と呼ばれる貨幣を増産したことにより、大いに繁栄しました。
ここは1988年に閉山するまで1000年にも渡って発掘が行われ、現在は博物館となっています。坑道だけでなく、10世紀建造の聖堂や19世紀の労働者の住宅などが残存。
歴史都市ゴスラー
ドイツの中北部にあるハルツ山地の麓にある都市で、ここはランメルスベルク鉱山の恩恵を受けて発展してきました。11世紀にハインリヒ2世は銀貨を鋳造すると、ここに皇帝宮殿を築き、帝国会議を開くように。その後、13世紀になるとハンザ同盟に加わり、16世紀まで鉱物資源を中心に交易都市として繁栄。
しかし、ニーダーザクセン地方の領主によって銀山の採掘権が奪われると、町は衰退したために、市庁舎やギルド会館、聖堂など、中世の町並みなどが現在まで残っているというのが特徴。
オーバーハルツ水利管理システム
ランメルスベルク鉱山の南部に位置するオーバーハルツは、800年にも渡る鉱業用の水管理システムが残り、2008年に追加で登録。人工池や水路、排水システムの他に、シトー会の修道院跡も含まれていて、ここが鉱山の発展に繋がっているという点で評価されたもの。
ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラーとオーバーハルツ水利管理システムはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
これらの遺産が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
ここはヨーロッパで最大の非鉄金属の鉱山と共同体であり、古代から中世まで継続的に利用されていて、神聖ローマ帝国の支配下における採掘技術と水管理ステムが発展され、これらは人類の創造的資質を示す傑作であるという点。
登録基準(ii)
ここは採掘と水管理の技術において、中世から近代、現在まで栄え、それはルネサンス期に鉱業と金属に関して書かれた、鉱山学者ゲオルク・アグリコラの代表作『デ・レ・メタリカ』にも影響を与えたということ。
登録基準(iv)
ここには、採掘技術や鋳金、管理システムの分野で非常に優れた技術者集団が存在し、中世とルネサンス期の行政と通商組織の例を示しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ランメルスベルク鉱山とゴスラーは、採掘技術はもちろん、優れた鋳金技術や管理システムが存在していて、この構造を鉱山学者が参考にするほどだったという点で評価されています。
ちなみに、ゴスラーの建築物には「デゥカーテン・メンヘン」と呼ばれる、全裸の人物がお尻から黄金を出すという人形の装飾が見られ、これはかつてここに存在したギルドのシンボルだったのですが、あまりにもお下品に見えたのか、ドイツ代表する文豪ゲーテは批判したことも。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。