登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (4) |
登録年 | 1990年 |
世界遺産に登録された3つの修道院は、ギリシャ国内の別の場所にありますが、それぞれが大きな天井を持つ内接十字形で、ドームは八角形のスペースがあるスキンチ様式という点では共通のもの。そして、11〜12世紀のビザンツ美術の第2黄金期である金箔の背景を持つ大理石のモザイク画も見られるという点が特徴です。
ここではダフニ修道院、オシオス・ルカス修道院、ヒオス島のネア・モニ修道院がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、3つの修道院について詳しくなること間違いなし!
ダフニ修道院、オシオス・ルカス修道院、ヒオス島のネア・モニ修道院とは?
世界遺産としては、アテネ近郊にあるダフニ修道院、中央ギリシャのデルフィ近郊のオシオス・ルカス修道院、ヒオス島のネア・モニ修道院の3つで構成されています。それぞれが別の場所に位置するものの、建築様式が共通していて、ドームは八角形のスペースがあるスキンチ様式(入隅迫持)で、内部は内接十字形の設計となっているのが特徴。そして、11〜12世紀に流行したビザンツ美術の第2黄金期である、金箔の背景を持つ大理石のモザイク画が見られます。
ダフニ修道院
アテネ近郊にある修道院で、現在は中央聖堂のみが残るもの。修道院そのものは5〜6世紀に設立されたとされますが、現在残る聖堂は10世紀に再建されました。ここには11世紀に作成されたモザイクがほぼそのまま残っているのが特徴。
オシオス・ルカス修道院
中央ギリシャ地方・デルフィ近郊のヘリコン山の麓に位置する修道院。オシオスとは修道士であった聖人に多い「克肖者(こくしょうしゃ)」という意味で、10世紀に克肖者ルカスによって設立され、生神女聖堂にはイスラーム建築に多いクーファ文字が装飾として使用されていて、これは当時のバルカン半島南部に見られるもの。
中央聖堂にはモザイクが残っていて、聖書をテーマにさまざまな場面が並んでいます。生神女聖堂と中央聖堂を繋ぐ廊下には、克肖者ルカスの墓があり、そこにはルカスのモザイクも残っています。
ヒオス島のネア・モニ修道院
エーゲ海東部にあり、トルコのあるアナトリア半島のすぐ側に浮かぶヒオス島の中央部に位置する修道院。設立は11世紀で、中央聖堂は中期ビザンツ建築の傑作でもあります。19世紀に火災が発生し、ドームにあるモザイクは消失。しかし、今でもいたるところでモザイクが残されていて、主にイエス・キリストの生涯などがテーマとなっています。
ダフニ修道院、オシオス・ルカス修道院、ヒオス島のネア・モニ修道院はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
3つの修道院が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
3つの修道院は、ビザンツ建築の傑作であり、内部には金箔の背景を持つモザイクが見られるというのが独特であるという点。
登録基準(iv)
3つの修道院は独自のスキンチ様式などが見られ、建築物としての完成度や、モザイクと絵画の美しさなど、中期ビザンツ建築の傑作であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ダフニ修道院、オシオス・ルカス修道院、ヒオス島のネア・モニ修道院は別の場所にあるものの、どれも同じ時代に同じような技法や設計で造られています。これらはスキンチ様式や内接十字形の独特なデザインなどが見られ、中期のビザンツ建築の傑作であるという点で評価されています。
ちなみに、ネア・モニ修道院を創建した修道士ニケタスとヨアンニスは、魔法を使うという噂があり、実際に近くにあるレスヴォス島に幽閉されていた皇帝の縁戚コンスタンティノス・モノマコスが皇帝になるだろう…と予言して、実際に彼はビザンツ皇帝となりました。それもあり、修道院はビザンツ帝国がスポンサーとなったことから、お金をたっぶりと使った壮麗な建築物となったとされています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。