登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(3),(4),(5),(6) |
登録年 | 2023年 |
東西の文明を結ぶ地に位置するイランでは、シルクロードや王の道など、古くから交易路が多く置かれ、街道沿いには「隊商宿」という意味のキャラバンサライという建造物が多く存在しました。現代でも数百もの宿が残っていて、それぞれ建築様式が異なり芸術的価値が高いものである一方、東西の文明の文化や科学、芸術、宗教などを結ぶという役割もあったのです。
ここではペルシアのキャラバンサライがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ペルシアのキャラバンサライについて詳しくなること間違いなし!
ペルシアのキャラバンサライとは?
ペルシアはイランを示す言葉で、キャラバンサライは、キャラバン(隊商)+サライ(宿)という意味で、かつてシルクロードや巡礼路などのルート上に築かれた「隊商宿」という意味。イランには、数百ものキャラバンサライが残されていて、25のキャラバンサライが登録されています。その歴史は古く、アケメネス朝(紀元前550年〜紀元前330年)時代には王の道に沿って隊商宿が存在していて、7世紀以降にイスラム時代に中東各地で見られるようになりました。10世紀以降はキャラバンサライは装飾が加えられていき、16世紀以降のサファヴィー朝(1501〜1736年)時代には巡礼路も整備され、このタイプの隊商宿が多く建造されていきました。
隊商宿はほとんどが街道の側に位置していて、100平方mの規模から8000平方mもの広大なものまでさまざま。一般的に2階建ての建築物で、中央に広大な中庭があり、1階はおもに倉庫や厩、使用人の部屋で、2階が商人たちの宿泊施設となっています。これらはアジアとヨーロッパの架け橋に位置するイランにおいて、商品の交換だけではなく、東西の文化や思想の交流もされていたというのも特徴。
ペルシアのキャラバンサライはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ペルシアのキャラバンサライが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ペルシアのキャラバンサライは、約3000年近く、何度も修復と再生を繰り返して使用されていたために、非常に長い期間に渡って商人や巡礼者のインフラであり、大都市の近くに位置する宿は、東西の文明を結びつける中心的な役割を果たしていたという点。
登録基準(iii)
ペルシアのキャラバンサライは、紀元前5世紀ころから20世紀初頭まで、かつてイランを支配した文明の証拠を残していて、現在のキャラバンサライのほとんどはササン朝(224〜651年)からガージャール朝(1785〜1925年)時代のもので、シルクロードや王の道など文明の存在の証拠になっています。ここは長い間、住民たちに修復されつつ利用されてきたことから、彼らの知識や芸術、創造性、自然との適応を示すものであるということ。
登録基準(iv)
ペルシアのキャラバンサライは、それぞれ形状や様式は異なるものの、すべての建造物に類似点があり、その機能は初期からそのまま残されています。それと同時に形状や装飾においては、さまざまな様式や創造性が見られるという点。
登録基準(v)
ペルシアのキャラバンサライは、砂漠地帯を開発しながら建設されていることから、自然環境に適応し、砂漠間での輸送を可能として、最終的には大陸間の文化交流を可能としました。これは長距離輸送と交信を目的に人間と自然環境の相互作用の優れた例であるということ。
登録基準(vi)
ペルシアのキャラバンサライは滞在のための場所だけでなく、異国の人々や文化の思想が交差し、知識や科学が交流する場所でもありました。それは芸術や文学に結びつき、イスラム教とゾロアスター教、仏教、キリスト教などの普及にも貢献しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
キャラバンサライはイランが発祥であり、ここは古くから広大な帝国を築いた王朝によって建設・管理され、砂漠の多い環境の中でも交易ができるような建築技術が見られる一方、時代が下るごとに芸術性も高まっていったという面が見られるという点で評価されています。そして、東西の文化や科学技術、宗教などを結びつける場でもあったというのがポイント。
ちなみに、世界遺産に登録されているエスファハーンで最も高級で知名度の高い、アッバスィーホテルは、もともと隊商宿だった場所を改築したホテル。同じくヤズドなどにも隊商宿を改築したホテルがあり、これらは世界遺産ではありませんが、当時の雰囲気を味わえるので、少し奮発して泊まってみるのはいかが?
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。