登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4), (5) |
登録年 | 1997年 |
イタリア南部にあるポンペイは、79年にヴェスヴィオ山の噴火による火山灰で埋没したローマ都市。そして、同じように埋没した古代のリゾート地であったヘルクラネウム(エルコラーノ)は保存状態がよく、トッレ・アンヌンツィアータのヴィッラ(別荘)も含めて登録されています。
ここでは、ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ポンペイ、ヘルクラネウム、トッレ・アンヌンツィアータの遺跡について詳しくなること間違いなし!
ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域とは?
ここはイタリア南部のカンパニア州のナポリ県にある3つの遺跡が世界遺産に登録されています。ポンペイとヘルクラネウムはヴェスヴィオ山の噴火による火山灰で埋没した都市遺跡で、当時の街の様子がそのまま残されたという点で価値があり、トッレ・アンヌンツィアータのヴィッラ(別荘)はローマ帝国時代の富裕層の暮らしなどが今でも分かるという点で貴重です。
ポンペイの遺跡は16世紀に発見されると、18世紀から徐々に発掘され、現在では当時の街の様子がそのまま確認できるようになりました。しかし、ヘルクラネウムは現在のエルコラーノの町の下に存在しており、まだまだ発掘が続いています。
ポンペイ
ヴェスヴィオ山の南東に位置するポンペイは埋没する前は商業都市として繁栄。ポンペイはタイムカプセルのように当時の建築物が見られ、神殿、市庁舎、劇場、娼館、浴場などの遺構が点在。町は舗装した道路に邸宅が並ぶという計画都市で、それぞれの家にはフレスコ画やモザイクが残っていて、人々の肖像画なども貴重な資料となっています。
有名なものとしては「ファウノの家」で、この家で発見されたアレクサンドロス大王のモザイク画は世界史の教科書でもおなじみ。特に「外科医の家」には、柱に囲まれた中庭に向くというアトリウムのような家などもあり、建築デザインも秀逸な家も見られます。
ポンペイの秘儀荘
ポンペイの郊外にある秘儀荘は、1910年に発見された邸宅。「ディオニュソス秘儀」の壁画があることから、このように呼ばれています。ディオニュソスはゼウスの子とされていて、当時の南イタリアで崇拝されていたもの。壁画には、ディオニュソス秘教の儀式の様子などが描かれています。
ヘルクラネウム
州都ナポリから南東へ約8kmの位置にある都市で、現在はエルコラーノと呼ばれています。埋没された当時は高級リゾートでした。ポンペイとは違い、土石流が冷えて固まり、当時の邸宅の彫刻やモザイク、壁画などは保存状態が良いのが特徴。
トッレ・アンヌンツィアータ
ポンペイから西へ約2.5kmの位置にある郊外の別荘地帯。ローマ帝国の皇帝の妃であったポッパエアが保有していたとされる「オプロンティスのヴィラ」は広大な別荘で、皇帝が住む部屋と奴隷の住む部屋で分かれていたと考えられています。特に写実的なクジャクの絵など、美しいフレスコ画も残存。
ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ポンペイ、ヘルクラネウム、トッレ・アンヌンツィアータの遺跡が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ポンペイとヘルクラネウムは、火山灰という自然現象によって見事に保存された世界でも例がない都市であり、トッレ・アンヌンツィアータにはローマ時代の保存状態の良い壁画があるという点。
登録基準(iv)
遺跡に残る建築物や装飾、日常道具など、紀元前1世紀から紀元1世紀までのローマ時代の生活の様子が分かるということ。
登録基準(v)
これらの遺跡は、ローマの都市と別荘の優れた例であり、ローマ時代の生活の様子が絵画から分かるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ヴェスヴィオ山の噴火により人々の命は奪われたものの、奇跡的に都市が保管されることとなり、ポンペイとヘルクラネウムはどのローマ遺跡よりも建築物や芸術、生活など、当時の様子がよく分かるという点で評価。
ちなみに、ポンペイの壁には落書きがたくさん残っていて、選挙が近かったのか、政治家への悪口や誹謗中傷などもありました。まさに79年の噴火が発生した日の様子がそのまま残されていたのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。