登録区分 | 文化遺産 |
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登録基準 | (2), (3), (4) |
登録年 | 2024年 |
パレスチナのガザ地区の中部、デイル・アル・バラーの近くある遺跡。キリスト教修道士ヒラリオン(291〜371年)が設立したとされる修道院があったことで知られ、ここはガザでも初めてのキリスト教修道院でした。その後、ビザンツ時代まで繁栄しましたが、7世紀以降は遺構となってしまい、2023年からは戦争に巻き込まれたため、緊急措置として危機遺産に指定されています。
ここでは聖ヒラリオン修道院/テル・ウンム・アメルがなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、聖ヒラリオン修道院について詳しくなること間違なし!
聖ヒラリオン修道院/テル・ウンム・アメルとは?
テル・ウンム・アメルは、ガザ市から南に広がる砂丘地帯の遺跡が並ぶエリアです。その中には修道院の遺構があり、これはもともと修道院というシステムのルーツを築いた大アントニオス(251〜356年)の弟子であるヒラリオンによって340年頃に築かれた「聖ヒラリオン修道院」が存在していた場所。彼はこの近くにあったタバタ村出身で、エジプトで学んだ後、ここで隠遁生活を送るようになり、その弟子たちによって修道院は大きくなっていきました。
遺構は後のビザンツ帝国時代から初期のイスラム時代まで繁栄した跡が残り、5つの教会や浴場、モザイク、地下室(クリプト)などが見られるほどに広大な施設であったものの、7世紀の地震の後は放棄されました。
危機遺産(危機にさらされている遺産)
ガザという土地柄、資材や機材なども不足し、保存活動は難航していたところに、2023年からはイスラエルのガザ侵攻が始まりました。それもあり、2024年に緊急案件として世界遺産登録と同時に危機遺産に登録されています。
聖ヒラリオン修道院/テル・ウンム・アメルはどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
聖ヒラリオン修道院が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
登録基準(iii)
登録基準(iv)
4世紀設立と、中東でも最も古いとされる修道院の一つで、この地域に「修道院」という概念を広げたもの。そして、ここはアジアとアフリカを結ぶという場所でもあり、宗教や文化、経済の交流の中心地でもあり、ビザンツ帝国時代の砂漠に位置した修道院の繁栄を示しているという点で評価されています。
世界遺産マニアの結論と感想
かつてのガザはアジアとアフリカの交差点という位置にあったため、文化や宗教、交易などが盛んな場所であり、修道院跡は砂漠地帯で繁栄した修道院の姿を今も示しているという点で評価されています。
ちなみに、本来の「テル・ウンム・アムル」としての構成資産はガザ市内にある聖ポルフィリウス教会も含まれていて、これは世界でも3番目に古いキリスト教会だったのですが、2023年の空爆によって破壊されてしまい、他の遺構も破壊されたことから、現在も残る聖ヒラリオン修道院だけが世界遺産として登録されたという経緯があります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。