登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (6) |
登録年 | 2016年 |
ステチュティは中世に築かれた墓碑のことで、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア西部、モンテネグロ西部、クロアチア中央部にある28もの墓所が世界遺産に登録されています。これらは12〜16世紀に作られたもので、ほとんどが石灰岩で建造され、この地方の伝統的な装飾や碑文が刻まれているのが特徴。
ここでは中世墓碑ステチュツィの墓所群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ステチュツィについて詳しくなること間違いなし!
中世墓碑ステチュツィの墓所群とは?
ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、クロアチアには中世の墓碑であるステチュティが点在し、これらは合計で7万を越え、12世紀後半から16世紀にかけて建造されたもの。この地域はかつてボスニア王国(1377〜1463年)によって支配された土地で、この王国は当時のローマ・カトリックや東方正教会から異端とされていたボスニア教会に属する地域が多かったという点で、キリスト教圏ではあるものの、独特の文化が見られる地。
墓所は墓碑が並ぶように配置され、ほとんどが石灰岩で建造されたもの。表面にはさまざま装飾が刻まれていて、十字架だけでなく、渦巻やブドウの葉、民族舞踊、狩猟、忠誠を行う人物などが見られます。さらにスラブ人貴族の紋章や人々、土着の神話や儀式などが残っていて、ボスニア独自の文化を示すものでした。碑文はボスニアキリル文字が刻まれていて、これらはボスニア王国で広く使用されていました。
しかし、15世紀後半にオスマン帝国に支配されると次第に数が減っていき、16世紀になると文化としては消滅。
中世墓碑ステチュツィの墓所群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ステチュツィが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ステチュツィは、中世ヨーロッパの芸術や考古学の面を含めた遺産であり、これらは先史時代からの影響を受け、切妻屋根や十字架型などさまざまな形をしたものが各地に点在。これらは装飾やシンボル、宗教、日常生活など、この地域の中世の文化と歴史などが見られる証拠であるという点。
登録基準(vi)
ステチュツィはこの地の文化的伝統や歴史において重要なものであり、民話やおとぎ話、迷信、習慣にも関連していて、各国の文学や芸術に大きな影響を与えたということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ステチュツィは、さまざまな形状があり、表面には装飾やシンボル、宗教、日常生活に関連したモチーフが掘られ、この地方の文化が見られ、16世紀以降は建造されなくなったものの、各国の文学や芸術にも影響を与えたという点で評価されています。
ちなみに、ボスニア・ヘルツェゴビナの「ヘルツェゴビナ」は現在の南部を示す地域で、15世紀にこの地域を支配したスチェパン・ヴクチッチが「聖サヴァ公」と呼ばれていたので、ドイツ語やハンガリー語の「公」を意味する言葉が由来。14世紀からすでにボスニアに組み込まれていたので、ヘルツェゴビナと合わせて「ボスニア・ヘルツェゴビナ」という名称が今でも使われているのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。