登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(3),(4),(6) |
登録年 | 2003年 |
イラン北西部にあるタフテ・ソレイマーンは、ササン朝ペルシャ(224〜651年)の聖地であり、ここにはゾロアスター教の拝火壇(アザル・ゴシェナスブ)が置かれた重要な場所でもありました。この地に存在した神殿や宮殿などは後のイスラム建築の発展に大きな影響を与えています。
ここではタフテ・ソレイマーンがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、タフテ・ソレイマーンについて詳しくなること間違いなし!
タフテ・ソレイマーンとは?
イランでも最も西部にある西アーザルバーイジャーン州にあるタフテ・ソレイマーンは、火山地帯にある谷間に位置しています。ここは約2500年に渡って使用されたゾロアスター教の聖地。ゾロアスター教は火と水を神聖視していて、特にここは火山湖が多く存在するため、古くから聖地として崇められてきました。特にゾロアスター教は善悪二元論から構成される宗教で、イスラム教とキリスト教に大きく影響を与えたもの。
タフテ・ソレイマーンは「ソロモン王の玉座」を意味し、ここはソロモン王が火口湖の怪物を閉じ込めたことからその名が付けられ、アケメネス朝(紀元前550〜330年)から使用されてきました。そして、3世紀にゾロアスター教の神官であったアルデシール1世がササン朝ペルシャを開き、彼はゾロアスター教を国教として、ここを聖地として崇めるようになったと考えられています。
ここには約60mの丘の上に位置する、火山湖を中心として、ゾロアスター教の拝火壇(アザル・ゴシェナスブ)を含めて聖域となり、遺構としては直径1000mほど。しかし、7世紀にビザンツ帝国によって破壊されます。13世紀にはイル・ハン朝(1258〜1353年)によって再建されるも、再び放棄。タフテ・ソレイマーンに築かれた神殿と宮殿は、イスラム時代の建築物に大きく影響を与えています。
世界遺産としては、タフテ・ソレイマーンだけでなく、採石場であったザンザン・エ・ソレイマーンの考古学遺跡と、周辺のベルケイス山のササン朝時代の城塞遺跡も含めて登録。さらに周囲にはササン朝時代の都市が地下に埋まっているということも分かっています。
タフテ・ソレイマーンはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
タフテ・ソレイマーンが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
タフテ・ソレイマーンは、自然と調和のとれた優れた王室の建造物の集合体であり、ササン朝によって作られた建造物で構成されているという点。
登録基準(ii)
タフテ・ソレイマーンは、ササン朝時代に建造され、これはイスラム時代の宗教建築だけでなく、他の文化にも影響を与えているということ。
登録基準(iii)
タフテ・ソレイマーンは、火と水を崇拝するゾロアスター教を約2500年に渡って継続したことを示す考古学的遺産であり、サーサーン朝時代の都市は地下に埋まっているという点。
登録基準(iv)
タフテ・ソレイマーンは、ゾロアスター教の聖域の傑作であり、ササン朝時代の宮殿建築と融合しているということ。
登録基準(vi)
タフテ・ソレイマーンは、主要なゾロアスター教の聖域として、世界でも初期の一神教の宗教施設であり、さらにゾロアスター教よりもはるかに古い信仰が見られ、聖書の人物や伝説との関連性が見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
タフテ・ソレイマーンは、サーサーン朝時代に崇拝されたゾロアスター教の聖域であり、ここは王族によって保護されたため、宮殿が築かれ、これはその後のイスラム時代の建造物に影響を与えているという点。そして、ゾロアスター教だけでなく、キリスト教やイスラム教にも影響を与え、さらにそれ以前の信仰の跡が見られるというのもポイント。
ちなみに、ソロモン王はイスラエル王国の王様ではあるので、なぜにペルシャにいたのか…という疑問は置いておいて、ここはキリスト教のイエスやゾロアスター教の開祖であるザラスシュトラなどに関連する伝説も残っていて、古くからかなりのパワースポットだった様子。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。