登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4), (5) |
登録年 | 1997年 |
ベネズエラの沿岸沿いに浮かぶキュラソー島のウィレムスタットは17世紀にオランダ西インド会社によって建造された植民都市。ここはオランダの建築物をベースにしながらも、キュラソー(クラサオ)・バロック様式のカラフルな建物が今でも多く並んでいます。
ここではキュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ウィレムスタットについて詳しくなること間違いなし!
キュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区とは?
キュラソー島は、カリブ海の南部に位置するオランダ王国の構成国の一つ。首都ウィレムスタットは、1634年に当時ここを支配していたスペインから奪取し、島の東側に位置するセント・アナ湾に建造された要塞が起源。その周辺に作られた町が現在のプンダと呼ばれる歴史地区です。18世紀になると、町は西に拡大し、オットロバンダという地区も追加。
オランダの植民地だけあって初期の住宅は、首都アムステルダムのようにレンガを使用した切妻屋根の設計でした。しかし、18世紀になると、地元の職人によって、アフリカやカリブ海の建築様式が加えられ、曲線的な破風が特徴の、赤や黄、青、緑などのパステルカラーを主軸にしたカラフルな建築物が並ぶようになり、これらはキュラソー(クラソオ)・バロック様式と呼ばれるようになりました。
19世紀後半になると、プンダ地区とオトロパンダ地区を結ぶクィーン・エマ橋が完成。これは船舶を通すために開閉される橋で、町はさらに発展していきました。
キュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ウィレムスタットが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ウィレムスタットは、オランダの植民都市であり、3世紀以上も異文化交流を行いながら発展していったということ。
登録基準(iv)
ウィレムスタット市内に残る歴史地区は、何世紀にも渡って発展してきたことを示すものであるという点。
登録基準(v)
ウィレムスタットの建築物は、ヨーロッパの伝統をベースに、南米やアフリカの文化の影響を受け入れつつ、カリブ海独自の景観を発展させたということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ウィレムスタットのカラフルな町並みは、オランダの植民都市であったことから、世界中から様々な文化が入ることによってヨーロッパの建築物をベースに独自に発展させていったという点で評価されています。
ちなみに「キュラソー」というと、オレンジのリキュールが有名ですが、これはキュラソー島がオレンジの産地であったことから名付けられたもの。現在販売されているキュラソーはさまざまな色が付いているので、あまりオレンジのイメージはないですけどね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。