登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(3),(5) |
登録年 | 2023年 |
シルクロードとは、中国の中心から天山回廊を通り中央アジアまで結ぶ交易路の総称です。そのシルクロードの一部であるザラフシャン・カラクム回廊の約866kmが世界遺産に登録。ここは紀元前2世紀から紀元16世紀まで交易で栄え、回廊沿いの遺跡には当時の人々の暮らしや文化交流が分かり、シルクロードを通じて文化や宗教が往来していたという証拠でもあります。
ここではシルクロード : ザラフシャン・カラクム回廊が、なぜ世界遺産なのか?世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ザラフシャン・カラクム回廊について詳しくなること間違いなし!
シルクロード : ザラフシャン・カラクム回廊とは?
そもそもシルクロードとは?
まず、シルクロードとは、ドイツの地理学者フェルディナント・フォン・リヒトホーフェンによって名付けられたもので、一本の道を示すものではなく、古くから使用されてきた交易路の「総称」としてこの名称を使用したのです。そして、絹(シルク)が交易品として多かったことから「シルクロード」になったというのが理由。
シルクロードの範囲としては、東アジア〜中央アジア〜西アジア間を古代から相互接続するネットワークであり、そして、ルートは時代とともに変化。長さも時代とともに変化するのですが、合計で約8700kmまでにもなるという世界でも有数のネットワークです。
2014年に世界遺産に登録された「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」は、中国〜カザフスタン・キルギスに至るという、天山回廊を中心とした「オアシスの道」の東半分といったところ。
ザラフシャン・カラクム回廊とは?
シルクロードにおいて、現在の中国の西端に位置する平均標高5000mのパミール高原から西側へと抜けるルートは、ルートがいくつも分岐。その中でも現在のタジキスタン〜ウズベキスタン〜トルクメニスタンを経由して、イラン方面へと抜けるのが「ザラフシャン・カラクム回廊」です。つまり、内陸を進むオアシスの道の中でも中央部分に位置していて、タジキスタンのパミール高原から流れるザラフシャン川の渓谷からトルクメニスタンのカラクム砂漠までが、この遺産の範囲。
ザラフシャン・カラクム回廊の長さは約866kmで、中央アジアのタジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンの3ヵ国にまたがっています。世界遺産の登録範囲は、タジキスタンの北西部のソグト県から始まり、トルクメニスタン南東部のマル州までにいたるまで、高山や平原、灌漑地、オアシス、草原、砂漠など、さまざまな地形の中に位置する神殿や集落跡などが登録。
「ソグディアナ」から「マー・ワラー・アンナフル」へ
おもに紀元前2世紀から16世紀まで、回廊はさまざまな民族が支配し、栄枯盛衰を繰り返しています。特に5〜8世紀はソグド人と呼ばれるイラン系(ペルシア系)のオアシス国家を形成していた遊牧民が主役となりました。記録によると彼らは紀元前8世紀からこの地に暮らしていたことが分かっていて、全盛期は中国の西域まで進出し、現在のイラク方面まで交易していたという商人までいたとされます。
特に現在のウズベキスタンのサマルカンドを中心にタジキスタンまで広がっていた都市国家の集合体「ソグディアナ」に関連する宮殿や神殿、要塞なども登録。彼らはゾロアスター教を信仰していたので、各地にゾロアスター教の神殿なども見られます。
7世紀にアラビア半島でイスラム教が誕生すると、この地は8世紀にはイスラム勢力であるアッパース朝の支配下になりました。ここは「マー・ワラー・アンナフル(川の向うの土地)」というアラビア語の名称で呼ばれるようになり、ソグド人は9世紀以降はイスラム文化と同化していき、現在のペルシア語が主流となりました。
ここはスーフィズム(イスラム神秘主義)の聖地となったこともあり、イスラムの聖地もある一方、ヨーロッパから追放されたネストリウス派の一派によってキリスト教もこの地へと伝えられ、修道院遺跡も残っているというのも特徴。
シルクロード : ザラフシャン・カラクム回廊はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ザラフシャン・カラクム回廊が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ザラフシャン・カラクム回廊は、紀元前2世紀から16世紀まで、シルクロードを介して物品だけでなく、人間の価値観が交流したため、都市計画や建築、芸術、科学技術にその影響が見られるという点。
登録基準(iii)
ザラフシャン・カラクム回廊では、紀元前2世紀から16世紀まで各地との交流が見られ、ソグディアナ、サーマーン朝(873〜999年)からカラハン朝(9世紀〜1212年)、ティムール朝(1370〜1507年)からシャイバーニー朝(1428〜1599年)までの3つの時期の変化を示す場所であるということ。
登録基準(v)
ザラフシャン・カラクム回廊の建造物は、高原や高山、乾燥地帯、オアシス、渓谷など、自然環境と人間の相互作用を示すユニークな例であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ザラフシャン・カラクム回廊は、パミール高原のような高山からカラクム砂漠などの砂漠地帯まで、厳しい環境の中で暮らしてきた人々の暮らしが見られ、それは中央アジアの都市計画に影響を与えたもの。そして、ソグド人によって文化や宗教が東西へと行き来し、中世以降はイスラム教が各地に広がっていき、各都市にはそれらの融合した文化が今でも見られるという点で評価されています。
ちなみに、ソグド人が使用していたソグド文字はシルクロードを介して国際語となっていって、中央アジアでは現在の英語的な標準言語になっていきました。しかし、イスラム教が浸透すると衰退していきます。とはいえ、現在のウイグル文字、モンゴル文字、満州文字のもととなっていて、これらの文字の中にはかつてのソグド文字の名残が残っているのですよ。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。