アンドレーア・パッラーディオとはどんな人物?パッラーディオ建築も含めて世界遺産マニアが解説

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アンドレーア・パッラーディオは、イタリア・ルネサンスを代表する建築家であり、古代ギリシャ・ローマの建築の美学とルネサンスの比例・対称性を組み合わせたパッラーディオ建築を生み出した人物。そんなパッラーディオとはどういった人物だったのでしょうか?

今回はパッラーディオがどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、パッラーディオについて具体的に理解できること間違いなし!

目次

アンドレーア・パッラーディオとはどんな人物?

建築家アンドレーア・パッラーディオ/ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオのヴィッラ
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1508年にイタリア北部・ヴェネツィア共和国のパドヴァで生まれ、ヴィチェンツァの石工組合に入り、その時代に建築家としての技術や古代ローマ建築の知識などを学んだとされています。1541年と1545年にはローマを訪れ、ローマ時代の建築家・建築理論家であるウィトルウィウスの『建築十書』も読みながら、彼は建築知識を深めていきました。

1546年から彼はヴィチェンツァやヴェネツィアを中心に活動し、多くの邸宅(ヴィラ)や教会、公共建築を設計。1570年に『建築四書』を出版し、後世の建築家に多大な影響を与えました。 1580年にヴェネツィアにて死去。

パッラーディオ建築とは?

ヴィラ・アルメリコ・カプラ(ラ・ロトランダ)/パッラーディオのヴィッラ
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彼の建築は古代ギリシャ・ローマ建築の要素である、ペディメント(三角破風)や円柱を使用し、神殿建築を邸宅(ヴィラ)に応用したことが特徴です。そして、建物の中央にポルチコ(神殿風の柱廊)を配置し、完全な左右対称のデザインを用いて、「正方形」や「円」などの幾何学的な形を意識したデザイン。彼は郊外の別荘(ヴィラ)を実用的かつ美しく設計し、農村と一体化した建築を目指し、開放的なロッジア(ベランダ)を多用しています。

しかし、彼が亡くなった後はこの建築様式はしばらく廃れてしまうのですが、18世紀になると、リバイバル運動により、イギリスの貴族の邸宅や公共建築に広がっていき、やがてアメリカ建国の父であるトーマス・ジェファーソンは、パッラーディオを熱烈に崇拝し、世界遺産にも登録さている「モンティチェロ」を設計したほど。

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ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオのヴィッラ/イタリア

ヴィラ・アルメリコ・カプラ(ラ・ロトランダ)/パッラーディオのヴィッラ
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世界遺産としては、1994年にヴィチェンツァ市と周囲のヴェネト地方の24ものパッラーディオ様式のヴィラ(邸宅)が登録。そして、周囲に点在する21ものヴィラも1996年に追加で登録。その中でも有名なのが、ヴィチェンツァ郊外にある「ヴィラ・アルメリコ・カプラ(ラ・トロトランダ)」。

ヴィラ・アルメリコ・カプラは、ヴィチェンツァの南に位置する丘の上に築かれたヴィラ。ここは1591年に完成し、カプラ兄弟のために建造され、円形のホールとドームを持ち、四方をファサードで囲まれ、ローマのパンテオンの影響を大いに受けたもの。

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サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂/イタリア

サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂
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ヴェネツィア本島から南東部にあるサン・ジョルジョ・マッジョーレ島。小さな島であり、ほとんどの敷地がサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂で占められています。ここには8世紀から教会が存在し、982年にはヴェネツィア共和国の総督からカトリック教会最古の修道会、ベネディクト会へと与えられました。現在の建物は13世記に再建されたもの。

その後、アンドレーア・パッラーディオ(1508〜1580年)によって改築され、1610年に完成。建物そのものは、ルネサンス様式ではありますが、外観は白を基調とした古典主義様式です。

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世界遺産マニアの結論と感想

アンドレーア・パッラーディオは、当時としては珍しいプロの建築家であり、建築理論を確立し、古典建築の美学を当時の建築様式に取り入れたという点で革命を起こしました。彼の建築はイタリア国内だけでなく、ヨーロッパ、さらにはアメリカの建築にも影響を与え、現代の建築デザインにも受け継がれています。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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