ハドリアヌス帝とはどんな人物?『テルマエ・ロマエ』でも登場した?世界遺産マニアが解説

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プブリウス・アエリウス・トラヤヌス・ハドリアヌス(76〜138年)は、五賢帝の一人で、先代のトラヤヌス時代に拡大した領土を守るために国境を管理して内政に力を入れた人物。彼の名前を冠した国境線は今も残っています。そんなハドリアヌス帝とはどういった人物だったのでしょうか?

今回はハドリアヌス帝がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ハドリアヌス帝について具体的に理解できること間違いなし!

目次

ハドリアヌス帝とはどんな人物?

ハドリアヌス帝の彫像
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ハドリアヌスは、ローマ帝国(紀元前27年〜1453年)の14代皇帝であり、ネルウァ=アントニヌス朝(96年〜192年)は帝国が安定した時期であり、「五賢帝」の一人として称賛される人物。彼はイタリア半島ではなく、ヒスパニア(現在のスペイン)のイタリカ出身の父を持ち、先代のトラヤヌスは大叔父にあたることから、若い頃より彼に同行していました。しかし、117年にトラヤヌスが病気で亡くなると「遺言」により、彼が皇帝とはなったものの、これは当時からかなり疑惑があり、今でも捏造説がよく語られています。

ハドリアヌス帝の彫像
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とはいえ、皇帝となったハドリアヌスは現実路線をとり、トラヤヌスのような領土拡大を志向せず、ローマ帝国の防衛と安定に力を入れました。特に有名なのが、属州ブリタンニア(現在のイギリス)に建設した「ハドリアヌスの長城」。彼は無駄な戦争を避けるため、軍事力を整備しつつ、領土の防衛に集中しました。

一方、内政では元老院と協力しつつ、帝国各地を自ら巡り、属州を監視しました。そして、属州の行政を整備し、改善していったのです。彼はギリシャ文化を愛したことから、アテネを再建したり、ローマのパンテオンの改修など、建築事業も多く行いました。

『テルマエ・ロマエ』でも登場した?

ヴィッラ・アドリアーナ(ティヴォリ)のテルマル跡
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『テルマエ・ロマエ』は漫画家ヤマザキマリさんによる作品で、古代ローマの浴場と現代日本の風呂をテーマにしたコメディ。古代からタイムスリップしてきた浴場専門の建築技師ルシウスが、日本の風呂文化と出会い、ローマにも日本風の浴場を築いたりするという壮大なストーリーです。

そして、ルシウスが仕える皇帝としてハドリアヌスが描かれています。作品内では、ハドリアヌスは文化と芸術を愛する皇帝として登場し、ルシウスが建造した浴場に大きな期待を寄せる人物として描かれていますが、実際に彼の別荘では浴場が築かれたり、彼自身も市民の浴場によく通っていたという逸話もあったりと、かなり忠実に描かれていたりします。

ハドリアヌス帝にまつわる世界遺産はこちら!

パンテオン(ローマ)/イタリア

パンテオン/ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂
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もともとは1世紀に初代ローマ皇帝のアウグストゥスの側近であったマルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造。ローマのさまざまな神を祀る万神殿でした。

しかし、火事で消失したため、118年から128年にハドリアヌス帝によって再建。現在見られるのはこの時代のもので、その後、キリスト教の聖堂となり、ルネサンスの芸術家ラファエロの墓もここにあります。

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ハドリアヌスの長城(ローマ帝国の国境線)/イギリス

ハドリアヌスの長城/ローマ帝国の国境線
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イングランドとスコットランドとの国境近くに位置する長城。122年にハドリアヌス帝によって、属州ブリタニアの最北端に築かれたもの。ここは当時スコットランドに住んでいたケルト系のピクト人の侵入を防ぐために建造されました。

長城は東海岸のニューカッスル・アポン・タインから西海岸のカーライルまでの約118kmにも及び、壁の高さは4〜5mで、6kmの間隔で要塞が建造されていきました。

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ヴィッラ・アドリアーナ(ティヴォリ)/イタリア

ヴィッラ・アドリアーナ(ティヴォリ)
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首都ローマから東へ約30kmに位置するティヴォリは、古代ローマから貴族たちのリゾート地として知られ、別荘などが建設された地でありました。ハドリアヌスは、118年からこの地に広大な別荘を作り始め、完成したのは133年。

敷地内には、30もの建築物があり、大きく4つのグループに分けられています。彼は皇帝として帝国内を視察して巡ったため、その時に訪れた地の建造物なども導入。有名なのはエジプトのアレキサンドリアとカノプス(現在のアブー・キル)を結ぶ運河をイメージしたカノプスというエリア。

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セリミエ・モスクとその社会的複合施設群/トルコ

セリミエ・モスクとその社会的複合施設群
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エディルネはトルコのヨーロッパ側にあるトラキア地方の中心都市で、ブルガリア国境まで10kmの位置にあります。ここは先史時代から人が住んでいて、ローマ時代以降はハドリアノポリス(英語名:アドリアノープル)と呼ばれ、オスマン帝国が14世紀にこの地を征服するとここで宮殿を築き、首都としました。スルタンであったセリム2世(1524〜1574年)の命により設計された、オスマン帝国の大建築家ミマール・スィナンの最高傑作であるセリミエ・モスク(ジャーミィ)があります。

ハドリアノポリスとは、ハドリアヌスが125年にこの地を拠点にしたことからローマ都市として整備したことから名付けられた名前。とはいえ、ローマ時代の遺構は市内にはほとんど残っていません。

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世界遺産マニアの結論と感想

ハドリアヌスは国内に平和と文化の発展をもたらし、ローマ帝国の繁栄を支える基盤を築いたとされています。彼の治世はトラヤヌス帝の拡大政策とは対照的ですが、その貢献は非常に高く評価されるもの。『テルマエ・ロマエ』に登場したように、テルマエはローマ市民の生活の中心であり、彼の別荘にもあるようにテルマエ文化の発展にも寄与した人物とも言えますね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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