オスマン1世とはどんな人物?世界遺産マニアが解説

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オスマン1世(1258年頃〜1326年)は、オスマン帝国(1299〜1922年)の創始者であり、最初の君主であった人物。彼の時代はまだ小さな領土でしたが、帝国の名前は彼の名前が由来となっています。オスマン1世とはどういった人物だったのでしょうか?

今回はオスマン1世がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、オスマン1世について具体的に理解できること間違いなし!

目次

オスマン1世とはどんな人物?

オスマン1世の彫像
画像素材:shutterstock

オスマン1世は、現在のトルコの西北部にあった小国の指導者でした。当時のアナトリア半島は、ルーム・セルジューク朝(1077〜1308年)というスルタンによる国家によって支配されていたものの、ベイリク(君侯国)と呼ばれる、ベイ(地方の君主)が各地で割拠し、争っていた時代。オスマンも君侯であったので初期は「オスマン・ベイ」でもあったのです。

彼は周囲のビザンツ帝国(東ローマ帝国)や他のトルコ系部族との戦いを通じて勢力を拡大し、1299年にルーム・セルジューク朝から独立を宣言したとされています。これがオスマン帝国の起源とされ、帝国は彼の名前が由来となりました。1326年に死去すると、彼の息子オルハン1世が後を継ぎ、オスマン帝国は領土を拡大していきます。

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ブルサ/トルコ

オスマン1世の墓/ブルサ
画像素材:shutterstock

トルコ北西部のブルサ県の県都であるブルサ市は、人口が300万人を超えるトルコ第4の都市。ここはかつてトルコだけでなく、東地中海からバルカン半島まで支配したオスマン帝国の最初の首都があった場所。

中心部には、14世紀に帝国の始祖オスマン1世と、その息子・オルハンなどの霊廟が築かれ、それにモスク、マドラサ(宗教学校)、ハマム(浴場)などが揃ったキュリエと呼ばれる公共施設が残ります。

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世界遺産マニアの結論と感想

オスマン1世は、比較的小さな領土を支配した遊牧部族の指導者でもありました。実は彼の功績としては世界史的にはそれほど大きくはないのですが…その後、中東だけでなく、東ヨーロッパや北アフリカまで広く支配する大帝国の礎を築いたという点では、重要な人物です。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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