アレクサンドロス大王(アレクサンドロス3世、紀元前356年〜紀元前323年)は、西はギリシャから東はインドまで領土を広げたというマケドニアの王。彼は紀元前323年にイラクのバビロンで亡くなった後、記録では遺体は埋葬されたとされていますが、その墓の位置は未だに特定されていません。
今回はアレクサンドリア大王の墓はどこにあるのか?世界遺産マニアが考察してみました。
記録上はエジプトに埋葬されたとされている

アレクサンドリア大王は、死の直前にはエジプトのシワ・オアシスというアモン神殿のある場所に埋めてほしいと願ったと記録されていますが、遺体を故郷のマケドニアに運び、そこで埋葬する計画が立てられました。しかし、紀元前222年〜紀元前221年にいたって、彼の副官で後のエジプト王となるプトレマイオス1世(紀元前367年〜紀元前282年)の命令で遺体は盗まれ、エジプトの古都メンフィスに埋葬。
プトレマイオスは、アレクサンドロスの遺体をエジプトに埋葬することで、その権威を自身の正当性の証明に利用しようとしたと考えられます。
アレクサンドリア大王の遺体は「アレクサンドリア」に移動



そして、紀元前4世紀後半または紀元前3世紀前半になると、エジプトのアレクサンドリアにおいて、アレクサンドロスの墓が建設されたと言われています。まさにアレクサンドロス大王の名前を冠したこの都市は、彼の遺体が埋葬されるにふさわしい場所でもあったでしょう。
彼の墓は、アレクサンドリアで広く崇拝され、プトレマイオス朝の王たちによって保護されていました。当時「聖域」として扱われ、多くの人が訪れたとされています。ローマの皇帝たちもアレクサンドロスの墓を訪れています。ユリウス・カエサルやアウグストゥス(オクタヴィアヌス)といった有名人まで墓を訪問した記録という記録があるので、当時は確実にあったといえますね。
しかし、4〜5世紀のローマ帝国の混乱期になると、皇帝テオドシウス1世によって略奪に遭ったという記録もあり、アレクサンドロスの墓は歴史から姿を消しました。
本当の墓はギリシャのマケドニアにあった?実はまだまだ決着は付いていない



その後、19世紀になるとアレキサンドリアの墓の捜索が本格的に始められ、多くの歴史家は、アレクサンドロスの墓がアレクサンドリアのどこかにあると信じているものの、今でも発見されていません。2014年にギリシャのマケドニア地方ではアレキサンドロス大王時代の墓が発見され、話題となりました。しかし、これは彼の友人のファイスティオンのものであるとも考えられています。
そして、2019年にアレクサンドリアの中心部でアレクサンドリア大王のものとされる大理石も発見され、2021年にシワ・オアシスで彼の墓を発見したということもあり、まだまだ決着は付いていません。
よって、結論としては「アレクサンドリアにある可能性はあるが、証拠が出てこず、他にあるとも言えるかもしれない」といったところでしょうか。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。