モザイクとは、小片を寄せ合わせて絵や模様を表す技法のこと。イタリアではローマ時代に築れたモザイクの傑作があることで有名で、キリスト教の時代になっても聖堂内には美しいモザイクが作られ続けました。
ここでは、イタリアで世界遺産に登録されているモザイクを世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。
サン・マルコ大聖堂/ヴェネツィアとその潟
イタリア北部のヴェネツィアは、潟(ラグーン)に浮かぶ118の島で構成される海上都市。ヴェネツィアの街は小さな島々から構成されていて、中心部には全長約3kmにもおよぶ「カナル・グランデ(大運河)」が通り、400の橋と150を越える大小の運河でそれぞれの島を結んでいます。
サン・マルコ大聖堂の聖マルコとは「聖マルコの福音書(新約聖書中の一書)」の執筆者とされていて、彼が町のシンボルとなり、紋章にも刻まれるほど。火災により焼失するも、11世紀にビザンツ様式で再建されます。内部は黄金に輝くモザイク画があることで有名。
詳細はこちら↓
サン・ヴィターレ聖堂/ラヴェンナの初期キリスト教建築物群
イタリア北東部エミリア=ロマーニャ州にあるラヴェンナは、ローマ帝国が分裂した後、5世紀に皇帝ホノリウスによって当時の首都であったメディオラーヌム(ミラノ)から遷都し、首都となった都市。
ここには5〜6世紀に建造された初期キリスト教の聖堂や礼拝堂、霊廟などが残っていて、その中でも傑作とされるサン・ヴィターレ聖堂には美しいモザイク画が残っています。至聖所には、皇帝ユスティニアヌス1世と后妃テオドラのモザイクなどが描かれていて、これらはサン・ヴィターレ聖堂を代表するもの。
詳細はこちら↓
アクイレイアの遺跡地域と総大司教座聖堂のバシリカ
アドリア海の北岸に位置するフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州に位置するアクイレイア。ここは現在は小さな町ですが、紀元前181年の共和制ローマ時代に都市が設立されると、地中海と中央ヨーロッパを結ぶ交易の中心となり、「第2のローマ」として繁栄しました。
しかし、5世紀に破壊。その後もこの地には総大司教座が置かれ、バシリカ式聖堂に残る4世紀のモザイクは、内部は身廊と2つの側廊から構成され、南側のホールには4世紀に建造されたラパルムが見られるというのも特徴。
詳細はこちら↓
ポンペイ/ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域
イタリア南部のカンパニア州のナポリ県にある3つの遺跡が世界遺産に登録。ポンペイとヘルクラネウムはヴェスヴィオ山の噴火による火山灰で埋没した都市遺跡で、当時の街の様子がそのまま残され、非常に状態が良いもの。
ポンペイは舗装した道路に邸宅が並ぶという計画都市で、それぞれの家にはフレスコ画やモザイクが残っていて、人々の肖像画なども貴重な資料となっています。有名なものとしては「ファウノの家」で、この家で発見されたアレクサンドロス大王のモザイク画は世界史の教科書でもおなじみ。
詳細はこちら↓
ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ
シチリア島中央部にあるエンナ県は丘陵地帯となっていて、ここはローマ帝国時代は貴族による農園(ラティフンディア)があったとされています。この地には貴族たちによってヴィッラ(別荘)が多く建造され、ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレはその中でも保存状態が良いもの。
40以上の部屋と床には豪華なモザイク装飾が置かれていて、特に馬車や猛獣狩り、ビキニの姿の女性まで世俗的なものをモチーフにしたモザイクがユニーク。
詳細はこちら↓
モンレアーレ大聖堂/パレルモのアラブ=ノルマン様式建造物群およびチェファル大聖堂、モンレアーレ大聖堂
シチリア自治州の州都であるパレルモは、歴史は古いものの、ギリシャ人、ローマ人、アラブ人、ノルマン人…とさまざまな民族によって支配された街。その中でも、ノルマン朝シチリア王国時代に建造された9つの建造物が世界遺産に登録されています。
代表的なモントアーレ大聖堂内部のガラスモザイクは、合計で6500平方mにもなり、金箔を使用したカラフルなモザイクが描かれていて豪華絢爛。
詳細はこちら↓
世界遺産マニアの結論と感想
イタリアは古代ローマの中心であったただけに、遺跡からは個人の邸宅であっても美しいモザイク床が存在するのが魅力。その技法は後にキリスト教の時代になっても、大聖堂や教会の内部に作られ続け、その技術は後世になるとさらに発展しています。イタリアは世界で一番世界遺産が多いだけに、世界遺産級のモザイクに出会えますよ!
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。