イランの世界遺産「バムとその文化的景観(アルゲ・バム)」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3), (4), (5)
登録年2004年

イラン南部に位置するオアシス都市・バムは、アケメネス朝(紀元前550〜330年)時代に遡るほどに古い街。その後、ここは7世紀から11世紀にかけて交易ルートの中継地となり、絹と綿の衣類の生産で繁栄。街の北東部にあるアルゲ・バム(バム城塞)は9世紀に建造され、周囲の中世の要塞建築の中でも代表的なものでもあります。

ここではバムとその文化的景観(アルゲ・バム)とその文化的景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、バムについて詳しくなること間違いなし!

目次

バムとその文化的景観(アルゲ・バム)とは?

バムとその文化的景観(アルゲ・バム)
画像素材:shutterstock

イラン南東部にあるケルマーン州。イラン高原の南部に位置する高原都市であるバムは、山々に囲まれてた谷に築かれた都市。カナートという地下水路を使用した水が流れ込む地であるため、周囲は豊かな土壌でもありました。

現在の近代都市であるバムの北東に位置するのがアルゲ・バム。ここは旧市街にあたり、アルゲとは城塞という意味。都市としての歴史は、アケメネス朝時代に遡り、現在は廃墟となっているものの、城塞が建造されたのは、ササン朝時代(224〜651年)とされています。城塞は外壁と二重の内壁を持つ三重構造になっているのが特徴で、日干しレンガを積んだ中世の要塞建築を代表するもの。

7世紀から11世紀にかけて交易ルートの中継地として繁栄するものの、18世紀にアフガニスタンからパシュトゥーン人(アフガン人)の攻撃を受け、アルゲ・バムは廃墟となりました。しかし、今でも2000年以上に渡って使用されてきたカナートは利用されていて、高原に位置するオアシス都市を維持してきたことから、自然との相互作用が見られるという点で文化的景観として評価されました。

危機遺産(危機にさらされている世界遺産)

2003年にマグニチュード6.6もの直下型地震である「バム地震」が発生し、旧市街は80%も崩壊してしまいます。そのため、世界遺産登録と同時に危機遺産に登録。その後、遺跡は修復が続けられ、その保全活動が評価されて2013年にリストから除外されます。

バムとその文化的景観(アルゲ・バム)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

バムとその文化的景観(アルゲ・バム)
画像素材:shutterstock

バムが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
アルゲ・バムは、イラン高原の南側に位置する交易ルートの中継地であったために、文化や経済などさまざな分野で周囲との影響が見られる都市であったということ。

登録基準(iii)
アルゲ・バムは、西アジアの砂漠で発展した交易都市の痕跡を残すものであるという点。

登録基準(iv)
アルゲ・バムは、日干しレンガを使用した西アジアの要塞都市の優れた例を示すということ。

登録基準(v)
バムで見られる文化的景観は、厳格な社会構造によって管理・維持されてきた都市で、カナートを使用した砂漠環境における人間と自然の相互作用の優れた例であるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

アルべ・バムは、もとともと交易ルートの中継地であったことからさまざまな文化が入り、砂漠の中で発展したオアシス都市の跡が見られ、日干しレンガを使用した要塞は西アジアの要塞建築を代表するものという点で評価されています。ここは砂漠環境の中でカナートを使用しながら、人類が暮らしてきたという文化的景観であるというのもポイント。

ちなみに、バムのカナートも「ペルシア式カナート」としてアルゲ・バムとは別に世界遺産に登録されています。現在もインフラとして使用されていて水源となっているのですが、2003年の地震の際に崩壊してしまったために復興が遅れたとされるほどに大事なものです。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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