ビアトリクス・ポター(1866〜1943年)は、イギリスの絵本作家として、『ピーターラビットのおはなし』をはじめとする愛らしい動物たちが登場する絵本で世界的に有名。彼女は湖水地方で自然保護活動にも尽力したことでも知られ、自然保護活動家としての側面もあります。ビアトリクス・ポターとはどういった人物だったのでしょうか?
今回はビアトリクス・ポターがどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ビアトリクス・ポターについて具体的に理解できること間違いなし!
ビアトリクス・ポターとはどんな人物?
幼少期と研究

ビアトリクス・ポターは1866年にロンドンの裕福な家庭に生まれます。本名はヘレン・ビアトリクス・ポター。幼少期は家庭教師による教育を受け、彼女は他の子どもたちとあまり交流せず、動物や自然に強い興味を持ち、ペットとしてウサギ、ネズミ、ハリネズミなどを飼いながらスケッチをしていました。夏は家族でスコットランドや湖水地方へ避暑に出かけ、そこで大自然での暮らしにも興味を持つようになります。
科学にも興味を持ち、特に菌類(キノコ)を研究。後に菌類の胞子の発芽に関する論文を発表するも、女性だったため科学界ではほとんど認められず、落胆としてしまい、研究からは遠ざかってしまいました。
『ピーターラビットのおはなし』の出版



一方で、彼女は幼少期から描きためていた動物の絵や物語をもとに、友人の子どもたちに絵手紙を送っていました。その中の一つが「ピーターラビット」の原型となり、1901年に自身で小冊子として自費出版。そして、1902年に出版社フレデリック・ウォーン社から正式に『ピーターラビットのおはなし』が出版され、5万部を越える大ヒットに。その後も『ベンジャミン・バニーのおはなし』『グロースターの仕立屋』『こねこのトムのおはなし』など、次々と人気絵本を発表します。
この時期、出版社の編集者ノーマン・ウォーンと恋に落ち、1905年に婚約しますが、彼はその直後に病で急逝してしまいます。
湖水地方への移住と自然保護活動



彼女は失意の中、湖水地方のニア・ソーリー村にある「ヒル・トップ」の農場を購入し、農業と牧羊に打ち込むようになります。1913年に弁護士でナショナル・トラスト(歴史的名所や自然的景勝地の保護活動をする組織)の活動にも関わっていたウィリアム・ヒーリスと結婚。湖水地方の土地を買い取り、絵本を執筆しながら、伝統的な農業や風景の保護に尽力しました。
晩年は視力の衰えもあり、執筆活動は減少しますが、環境保護のための活動に力を注ぎました。彼女は1943年に77歳で死去。遺言により湖水地方の広大な土地をナショナル・トラストに寄贈したため、彼女の残した土地は、現在もイギリスの貴重な自然保護区の一部となっています。
ビアトリクス・ポターにまつわる世界遺産はこちら!
イングランドの湖水地方/イギリス



英国の北西部・カンブリアに位置する湖水地方の中でも約2300平方kmもの広大な敷地が世界遺産に登録。ここは中央の山塊から放射状に氷河が渓谷を形成し、丘陵と細長い湖が並ぶという景観が続くのが特徴です。
湖水地方は大自然の中に別荘や庭園など、絵を描いたような美しさが意図的に作られ、これは18世紀の英国で流行した絵画的な価値を景観に持ち込むという「ピクチャレスク」として人々を魅了してきました。この地を訪れた芸術家たちは絵画や詩、文学作品などでも湖水地方の自然をモチーフにしています。
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世界遺産マニアの結論と感想
ビアトリクス・ポターは、実は絵本作家というだけではなく、科学者でもあり、環境保護活動家としても大いに貢献した人物でもあったのです。そして、彼女の生み出したキャラクターたちは今でも世界中で愛される一方、彼女が守った湖水地方の自然も、現在も多くの人々に大事にされていて、彼女の思想や考え方は現代人にも大きく影響を与えていますね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。