登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2012年 |
トルコを構成するアナトリア半島の南部。平原に位置するチャタル・ヒュユクは、2つの丘(テル)で構成され、18層もの新石器時代の文化が見られ場所です。この2つの丘は2000年に渡って生活が続けられ、ここでは人類が集住生活から定住生活、農耕生活への変化が見られるという点で大変貴重なもの。
ここはチャタル・ヒュユクの新石器時代遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、チャタル・ヒュユクについて詳しくなること間違いなし!
チャタル・ヒュユクの新石器時代遺跡とは?女神像はここで発掘された?
アナトリア半島内陸の南側にある都市コンヤから南東へ約40km。平原に位置する2つの丘がチャタル・ヒュユクの遺跡。ここは紀元前7500年〜紀元前5200年まで人々が暮らした場所。
チャタル・ヒュユクは東西に2つの丘(テル)があり、それぞれ年代が異なります。東側の丘は、紀元前7500〜6200年にかけて使用され、18層の新石器時代の住居跡が発掘。ここはレリーフや彫刻なども発掘され、当時の文化を垣間見ることができます。住民たちによる集住生活から農業生活までに至る変化が見られるのが特徴。
西側の丘は、紀元前6200年〜紀元前5200年までの銅器を使用する時代まで使用されていて、集住生活から定住生活へと変化していき、発掘物からは社会組織や風習までの変化も見られます。
保存状態の良い2つの丘により、人類初期の定住生活や農業生活が見られるという点で貴重なもの。住居はかなり密集しているため、住民たちは屋根から出入りしていたと考えられています。
チャタル・ヒュユク母神像
母神像は、チャタル・ヒュユクの発掘物で最も有名なもの。これは女神の像とされていて、祠堂であったと考えられている場所で発見。2匹の猫の頭の肘掛けのある椅子のようなものに座っていますが、豊満な身体は地母神を表したものとされています。男性像も発見されているものの、圧倒的に女性像が多く、ここではさまざまなパターンが発見。
チャタル・ヒュユクの新石器時代遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
チャタル・ヒュユクが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
チャタル・ヒュユクは、人類史において最初の農業集落が中央アナトリアのこの地で見られ、その集落の発展が見られるという点。
登録基準(iv)
チャタル・ヒュユクの邸宅は、密集して存在していたため、屋根から出入りするという特殊なもので、それぞれがほぼ同じ大きさであり、人々が平等に暮らしていたという社会構造であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
チャタル・ヒュユクはこの地が人類最初期の農業集落であったという点は評価が高いもの。そして、屋根から出入りするという同じ設計の集合住宅があったことから人々は平等に暮らしていたということも分かるというのもポイント。
ちなみに、チャタル・ヒュユクは、人類でも最初期のコミュニティではありますが、なんと王や神官が存在したという証拠がないため、階級のない平等社会であったという説もあります。一応、男女の体格差で仕事は別々であったものの、既に古代にこんなユートピアみたいな世界が存在していたというのも驚きですね。しかし、農業を始め、富の分配が始まるとなると…人は争うようになったのでしょうか?
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。