登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3) |
登録年 | 2013年 |
インド北西部のラージャスターン州には、ラージプート族の繁栄を今に伝える6つの城塞が点在しています。各城塞は8〜18世紀にかけて使用され、城塞内には市街地や宮殿、交易所などがあり、宮廷文化が発展した場所でもありました。そして、自然の要塞でもあり、その水利システムは現在でも利用されているほどに技術力が高いもの。
ここではラージャスターンの丘陵城塞群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ラージャスターンの丘陵城塞群について詳しくなること間違いなし!
ラージャスターンの丘陵城塞群とは?
ラージャスターンとは「ラージプート族の地」という意味。ラージャスターン州各地には、丘の上に築かれた城塞があり、これらは8〜18世紀にこの地を治めていたラージプート族の諸王国の権力を示すもの。ここでは、チットールガル城、クンバルガル城、ランタンボール城、ガグロン城、アンベール城、ジャイサイメール城の6つの城が登録されています。
外周は最大で約20kmにも及ぶ要塞もあり、丘の上には、市街地や宮殿、交易所、寺院、宗教建築物などが建造され、16〜19世紀のムガル帝国様式などと共通点が見られる建築物が並びます。そして、ここでは学問、音楽、芸術などが発展して、宮廷文化が花開いた場所でもありました。城塞は砂漠や森などの地形を見事に利用して設計され、水利システムもしっかりとして現在でも利用できるというほど。
登録されている主な構成資産
チットールガル城
州南部にあるチットールガルはかつてヒンドゥー教の王国であったメーワール王国(8〜20世紀)の首都であった場所。ここは9世紀に首都になると、城では16世紀まで独特の文化や芸術が花開きましたが、ムガル帝国のアクバル帝によってチットールガルは陥落。この地の人々はムガル帝国に対して激しく抵抗したことで知られます。
城にはヒンドゥー教寺院が残っていますが、ここのシンボル的存在がヴィジャイ・スタンバ(勝利の塔)。これは15世紀に近隣のマルワール王国に勝利したことを記念したもの。もう一つの塔はキルティ・スタンパ(名誉の塔)呼ばれ、これはジャイナ教徒のために12世紀に建造されたもの。
アンベール城
州東部にあるアンベールは、かつてアンベール王国(11〜20世紀)の首都でもあった場所。ここは16世紀にムガル帝国のアクバル帝と同盟を結んでいたためにイスラム建築の影響も見られます。そして、城はアンベール王国のマーン・シング1世によって100年以上もかけて改築が繰り替えされ、豪華な装飾が施されてきました。
城内にある「世界で一番美しい門」とされるガネーシャ門、壁や天井に鏡が使用された「鏡の間」、幾何学模様の庭園など、ムガル帝国時代の影響が見られるもの。
ジャイサルメール城
パキスタンとの国境近くにあり、タール砂漠の中央部にあるオアシス都市ジャイサルメール。ここは古くから中継貿易で栄え、町の中央部にある丘の上には、12世紀にラーワル・ジャイサル王によって城が建造。城内には美しい宮殿や寺院などが築かれました。
ラージャスターンの丘陵城塞群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ラージャスターンの丘陵城塞群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
城塞は、ムガル帝国のイスラム建築や他の地域の影響を受けていて、ラージプート族の芸術や建築などの文化の交流が見られるという点。
登録基準(iii)
6つの城塞は、宮殿や寺院、文化施設が作られ、そこにはラージプート族の文化的伝統や宗教、芸術などが見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ラージャスターンの丘に築かれた城塞は、イスラム教建築の影響を受けているものの、それらを吸収してラージプート族の独特の文化を築いたという点で評価。そして、芸術や文化、学問などの中心として栄えたというのもポイント。
ちなみに、「マハーラージャ(日本では「マハラジャ」と発音されるもの)」といえば、このあたりのイメージがありますが、各地を統治する藩王国の王たちが自称として大王という意味のマハーラージャと名乗りました。しかし、この藩王国というのは600もあったとされ、ラジャスターン州のマハーラージャは広大な土地を持つ王族が多かったのですが、小さいエリアを支配する王もマハーラージャと名乗ったので、割と林立してしまったというのが実情。日本では「金持ち」的なニュアンスで使われることも多いですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。