登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(3),(4) |
登録年 | 1992年 |
バイヨン寺院は「アンコール遺跡」の構成資産の一つ。バイヨン寺院は、12世紀後半に築かれたアンコール・トムの中心にあり、人面像の塔がの景観が特徴的ですね。ところで、バイヨン寺院はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではバイヨン寺院がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、 バイヨン寺院について詳しくなること間違いなし!
バイヨン寺院とは?
アンコール・ワットの北側に位置するアンコール・トムは、ジャヤーヴァルマン7世(1125〜1218年?/1220年?)によって、12世紀後半に建造されたとされています。都市は城壁に囲まれており、中央には須弥山(メール山)を模したバイヨン寺院が配置されているのが特徴。
中央祠堂をはじめ、塔の周囲に4つの観音菩薩と思われる人面像が多く配されていて、これは「クメールの微笑み」と呼ばれる独特の建築様式。合計で50近い塔があり、117箇所もの人面像があるとされ、最大で2mを超えるものも。
建築物は3つの階層で成り立っていて、第一層には2つの回廊があり、レリーフは隣国のチャンパとの戦争や市民の暮らしなどがテーマとされています。第二層は16もの塔が置かれ、回廊にはレリーフも置かれていて、第三層はテラスであるのが特徴。
アンコール・ワットはヒンドゥー教寺院ですが、建造したジャヤーヴァルマン7世は仏教を信仰したため、バイヨンは仏教寺院とされています。しかし、21世紀に行われた解析により、人面像はヒンドゥー教の神々を表しているという説も登場。
バイヨン寺院はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
バイヨン寺院が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
アンコール遺跡は、アンコールワット、バイヨン寺院、パンテアイ・スレイなど、9〜15世紀までのクメール美術の傑作が見られるということ。
登録基準(ii)
アンコールで発展したクメール美術は、東南アジア全域で影響を与え、各地で独自に発展していったという点。
登録基準(iii)
密林に残る遺跡は9〜15世紀に東南アジアの大部分を支配したクメール王朝の存在を示しているということ。
登録基準(iv)
クメール様式の建築は、各地で独特の進化を遂げ、結果的に東南アジアの建築と美術の新しい様式を生み出していったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
バイヨン寺院は、東南アジアを支配したアンコール王朝で発展したクメール美術の傑作でもあり、これらの建築様式は各地へと広まっていったという点で評価されています。
ちなみに、ここは当初は大乗仏教の寺院として建造されたものの、後にヒンドゥー教の寺院として改築されたことが各部から判明しています。現在は上座部仏教の像が置かれていて…現在は一応、カンボジアの国教である上座部仏教の寺院ではある様子。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。