登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(3),(6) |
登録年 | 1979年 |
フィラエ神殿(イシス神殿)は「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」の構成資産の一つ。エジプト南部の街、アスワンの近くに浮かぶフィラエ神殿は、女神イシスが崇拝された地であり、その後はキリスト教会へと転用されたもの。ところで、フィラエ神殿はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではフィラエ神殿がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、フィラエ神殿について詳しくなること間違いなし!
フィラエ神殿(イシス神殿)とは?
エジプト南部のアスワンの町の近郊にあるフィラエ島。かつてはナイル川に浮かぶ島だったのですが、20世紀初頭からダムが建設されると島が徐々に水没していきます。1960年代にアスワン・ハイ・ダムの設立により、いよいよフィラエ島がまるごと水没することになり、近くに浮かぶアギルキア島へと遺跡がまるごと移設されました。よって、アギルキア島を現在では「フィラエ島」と呼んでいます。
フィラエ島は末期王朝時代から神殿が存在していましたが、現存する建造物の3分の2はプトレマイオス朝時代(紀元前305年〜紀元前30年)のもの。島には紀元前4世紀ころに建造された、女神イシス神を祀るイシス神殿があり、主神殿やハトホル神殿、塔門などで構成。4世紀になるとコプト教の教会が島に建造され、6世紀に神殿が閉鎖されると、神殿はキリスト教会として再利用されていきます。
フィラエ神殿(イシス神殿)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
フィラエ神殿が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
ヌビアの遺跡群は、人類の創造的資質を示しているということ。
登録基準(iii)
ヌビア地方に点在する遺跡は、かつてヌビア地方までエジプト文明が領土を広げていたという証拠であるということ。
登録基準(vi)
「ヌビア水没遺跡救済キャンペーン」が世界遺産設立のきっかけになったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
フィラエ神殿は、エジプトがヌビア地方にまで領土を広げた証拠であり、世界遺産設立のきっかけとなったという点で評価されています。
ちなみに、イシスは古くから存在する神ではありますが、プトレマイオス朝時代になると非常に人気が出たために、フィラエ島にも神殿が建造されました。イシスは処女のまま、子供を身ごもったという伝承があるためか、聖母マリアの信仰の原型とも考えられることもあり、イシス神殿がキリスト教会へと変貌してもあまり違和感がなかったという背景もあります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。