登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (2), (3), (4), (6) |
登録年 | 1987年 |
デルフィはギリシャ中央部のパルナッソス山の中腹に位置する遺跡。ここはかつて太陽神アポロンを祀る神殿であり、巫女が神託を受ける地として有名でした。山々に囲まれたこの地は聖域にふさわしく、神聖な雰囲気が溢れ、古代ギリシャのシンボル的存在。
ここでは、デルフィの考古遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、デルフについて詳しくなること間違いなし!
デルフィの考古遺跡とは?
首都アテネからデルフィの考古遺跡までは北西へ約122km。パルナッソス山の中腹に位置するデルフィは、紀元前2000年頃から人々が住んでいました。聖地となったのは紀元前8世紀頃からで、紀元前6世紀頃にはギリシャ全土に知れ渡るようになりました。
ここはオリンポス12神の中でも太陽神アポロンを祀る神殿として、巫女が神託を受ける場所とされており、古代ギリシャの中心とされていたのです。各都市から献納品が送られてきたため宝庫が築かれるほど。ここは聖地であると同時に、国際会議の場ともなったのです。
今でも残るアポロン神殿はかつては黄金のアポロン像が置かれてたとされています。ここでは古代ギリシャの4大競技の一つ、ピュティア競技会が行われた地としても有名。4年に一度、3ヶ月に渡って陸上競技や馬車競技などが行われた競技場跡も残っています。円形劇場も残っており、5000人以上も収容できたことから、競技会の開催期間中は歌と演劇の発表会も行われていました。
デルフィの考古遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
デルフィが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
パルナッサス山に築かれた神殿やテラスなどは、神々しい空間が広がり、古代ギリシャ芸術の傑作であるという点。
登録基準(ii)
「聖域に献納品を送って恩恵を得る」というデルフィのスタイルは古代世界の国々の多くで模倣されたということ。
登録基準(iii)
神託やピュティア競技会など、デルフィの遺跡は古代ギリシャで信仰されていた宗教と文化が見られるという点。
登録基準(iv)
自然環境の中にあるため、当時の優れた建築物の保存状態もよく、聖域の様子がよく分かるということ。
登録基準(vi)
デルフィのアポロン神殿は、ギリシャ世界の中心と考えられ、古代ギリシャ人にとって重要視されていたという点。
世界遺産マニアの結論と感想
パルナッサス山の中腹に位置する遺跡は保存状態もよく、神秘的な雰囲気でまさに神託を受ける場所であったということも納得ですね。そして、献納品を送って恩恵を受けるという聖地のスタイルは、やがて世界各地に広まっていったというのもポイント。デルフィは宗教施設でもありましたが、今で言えばフェスの会場のようなもので、人々が多く集まり、国際会議としての役割も果たしていました。
しかし、オリンピアが元になった五輪は現在でも残るのに、ピュティア競技会は現在では行われていないというのは残念ですね。ただこちらは演劇もあるので、オリンピックとはちょっと方向性が異なっていたのもかもしれませんが。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。