登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 1996年 |
ポルトガル北西部の港町ポルトは、ドウロ川河口に位置する丘陵地帯に築かれた都市。丘の上に建つポルト大聖堂を代表にポルトガルらしい美しい建築物が並びます。他にも19世紀後半に建造されたルイス1世橋なども残り、ポルトは絶え間なく発展を続けてきた港町というのも特徴。
ここではポルト歴史地区、ルイス1世橋およびセラ・ド・ピラール修道院がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ポルト歴史地区について詳しくなること間違いなし!
ポルト歴史地区、ルイス1世橋およびセラ・ド・ピラール修道院とは?「ポルト」の意味も含めて解説
ドウロ川の河口に位置するポルトは、ローマ帝国時代のポルトゥス(港)・カレに起源を持つ都市。紀元前8世紀には既にドウロ川沿いには人が住んでいたとはされていますが、やがて「ポルト」と呼ばれるになり、5世紀になると交易の中心地となりました。
その後、12世紀にはポルトゥカーレ伯のエンリケ・デ・ボルゴーニャによってレコンキスタとしてイスラム勢力と戦い、ポルトを奪還します。
14世紀になると「フェルナンド王の市壁」と呼ばれる石の壁に囲まれるように街が形成され、壁の外は港となり、商人を中心とした富裕層が権力を持つ街でもありました。15世紀には大航海時代の幕開けとなるエンリケ航海王子の海外進出を支援。18世紀になると、ドウロ川沿いで造られたポートワインの輸出が増え、積出港として繁栄しました。
フェルナンド王の市壁は、現在でも一部が残っていて、ローマ時代から利用されている門も残っています。ポルトの街の構造は古来より変わらず、多くの歴史建造物とともに、ポルトガル第2の都市として発展してきた証拠を残すもの。
登録されている主な構成資産
ポルト大聖堂
旧市街で最も古い建造物で、現在の建築物は12世紀に建設が開始。ここはロマネスク様式で建造された大聖堂ではありますが、当時は要塞の機能を持っていました。
14世紀になるとゴシック様式の礼拝堂が加わり、入り口にあるバラ窓は同時期に建造されたもの。18世紀になると壮麗な祭壇の他に、イタリア人建築家のニコロ・ナッツオーニによってバロック様式の回廊が追加され、ここにはアズレージョと呼ばれる装飾タイルが加えられました。
クレリゴス教会
高さ約76mの塔を持つ、ポルトのシンボル的存在。ここは18世紀に建造されたバロック様式の教会で、これもニコロ・ナッツオーニの作品でもあります。
ポルトガル初のバロック様式の楕円平面図を採用した建造物で、ファサードには花や貝をモチーフにした装飾が施されているが特徴です。
ボルサ宮
旧市街の南西部にあるボルサ宮は、19世紀にポルト市の商業協会によって建造された商業会館。ここはもともとは修道院があったものの、火事によって廃墟となり、新古典主義様式の建築物として再建されました。内部は、アルハンブラ宮殿をモデルにしたという「アラブの間」があり、アラベスク模様のタイルで天井と壁面が埋め尽くされています。
ルイス1世橋
正式名所はドン・ルイス橋。ドウロ川にかけられた道路と鉄道を併用した橋で、今でも現役で利用されています。ここはエッフェル塔で有名なエッフェルの弟子、テオフィロ・セイリグが19世紀後半に設計されたもの。長さ395mの上層と長さ174mの下層の橋で構造されていて、上層はメトロ用で、下層は自転車と歩行者用の通路になっています。
セラ・ド・ピラール修道院
ルイス1世橋を渡った先にある、旧市街とは反対側の丘の上に築かれた修道院。16世紀に聖アウグスチノ修道会によって建造されますが、戦争で何回も破壊され、現在の建物は20世紀前半に再建されたもの。高さ36mの円形の教会は修道院のシンボル的存在です。
ポルト歴史地区、ルイス1世橋およびセラ・ド・ピラール修道院はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ポルト歴史地区が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
ポルトの歴史地区の構造や建造物は、ヨーロッパの海商都市の1000年以上に渡る発展を示す証拠であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ポルトはローマ帝国から続く都市で、旧市街に残る大聖堂や教会、修道院、橋など、海商都市として何世紀にも渡って発展きた様子を現在にまで残すという点で評価されています。
ちなみに、ブランデーを加えて甘くさせるという「ポートワイン」の発祥はポルト港ですが、英語に訳すと「港のワイン」となってしまうのです。これは18世紀にポートワインがイングランドに大量に輸出されたため、そのようき名付けられました。しかし、本来は「ポルトのワイン」という意味ではあるのですが、もともとポルトも「港」という意味でもあるので、どちらでも正しいということに。単純なのですが、ややこしい…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。