登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2013年 |
フィジーを構成する島の一つ、オバラウ島東部のレブカは、フィジー植民地の首都であった場所で、19世紀初期からアメリカ人やヨーロッパ人による商業の中心地でもありました。ここは10年ほどで他都市に遷都したため、オセアニアとヨーロッパの文化が交差するコロニアル様式の町並みが残っているというのが特徴。
ここではレブカの歴史的港町がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、レブカについて詳しくなること間違いなし!
レブカの歴史的港町とは?

フィジー最大の島であるビティレブ島の東側に浮かぶ小さな島・オバラウ島。レブカは島の東部にある死火山の麓に建造された、ココナッツとマンゴーの木々に囲まれた港町です。ここは1820年代以降は、アメリカとヨーロッパの入植者によって商業の中心地となり、1874年にイギリスによって建造されたフィジー植民地の首都となりました。
もともとは海岸沿いの平野に先住民の村があった場所に建造され、倉庫や貿易保険会社、宗教施設が村の周りに並び、1860年代にホテルや税関の事務所、大聖堂・教会、郵便局、伝道所、学校、市庁舎などが次々と建設されていきました。ここは町の拡大が難しかったこともあり、1882年に首都機能は現在の首都であるスバに移転したものの、その後も経済の拠点でもありました。レブカは大きな開発が行われなかったため、オセアニアとヨーロッパの文化が交差するコロニアル様式の町並みが今でも良く残っています。
レブカの歴史的港町はどんな理由で世界遺産に登録されているの?



レブカが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
レブカの歴史的港町は、19世紀における太平洋のヨーロッパの領地拡大の過程で発生した文化交流が見られ、地元の伝統的文化とヨーロッパの文化が融合した都市計画が残り、植民地時代の町並みの名残が見られる珍しい例であるということ。
登録基準(iv)
レブカの歴史的港町は、19世紀のヨーロッパの植民都市の特徴やその時代の港町の構造が見られ、ここは地元の伝統とヨーロッパの文化が組み合わさった景観を造り出しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
レブカは、19世紀における太平洋に建造されたヨーロッパ諸国が建造した港町の様子が今でも残っていて、これらはオセアニアの文化とヨーロッパの文化が融合した頃の町並みがであったという点で評価されています。
ちなみに、1860年代に建造されたロイヤル・ホテルは、2階建ての建造物で今でもホテルとして営業しています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。