登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 1987年 |
ドイツ北部、バルト海に面する港湾都市であるリューベックは、12世紀に築かれ、16世紀までハンザ同盟の盟主として北欧との交易で大いに栄えた都市。旧市街は保存状態がよく、ハンザ商人たちの邸宅、貯蔵庫、教会、そして、街のシンボルであるホルステン門が今でも見られます。
ここでは、ハンザ同盟都市リューベックがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、リューベックについて詳しくなること間違いなし!
ハンザ同盟都市リューベックとは?ホルステン門とは?
リューベックはドイツ北部のバルト海沿岸に位置する都市。現在のリューベック付近にはもともとスラブ人の集落があったものの、1143年に都市になると、1226年に当時のローマ皇帝フリードリヒ2世から「帝国自由都市」として自由に交易ができる特権状をもらいます。
その後、1230〜1535年まで、バルト海と北海の貿易を独占していた商人都市の同盟であるハンザ同盟の盟主として活躍。リューベックは、第2次世界大戦で深刻な被害を受けたものの、旧市街の被害はそれほど大きくなく、今でもハンザ同盟時代の建築物が大きく見られます。
リューベックの旧市街は、トラーヴェ川に浮かぶ島に建造され、島を貫く南北のメインストリートを中心に市場や市庁舎、大聖堂などが位置し、西にはハンザ商人の館、東には店舗や職人のアトリエなどが置かれていました。島の西側にある飛び地には、塩の貯蔵庫などが残っており、中央部には街の入口であったホルステン門が現在でも建っています。
登録されている主な構成資産
ホルステン門
1469年から1477年にかけて建造された門。旧市街の入口に建っており、シンボル的な存在。レンガ造りの壮麗な門で、円錐型の屋根が2つ並んでいます。かつてドイツマルクが流通していた頃には、紙幣にホルステン門が描かれているほど。
ザルツシュパイヒャー
ホルステン門の裏にある塩の倉庫。16〜18世紀に使用されたもので、リューベックに運ばれた塩を保管するために造られたもの。塩はリューベックやハンザ同盟都市にとっては非常に重要な取引物でした。
聖マリア聖堂
14世紀に建造された聖堂。高さ125mの尖塔を2つ持つゴシック様式の建造物ですが、第2次世界大戦で一部破壊され、今でもその痕跡を眺めることができます。
聖霊病院
1286年に開業した、街で最も古い建造物でもあり、世界の病の中でも古くから開業している病院の一つ。現在はほとんどが老人ホームになっていますが、館内には当時の遺構も残っています。
ハンザ同盟都市リューベックはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
リューベックが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
ハンザ同盟都市として、リューベックの旧市街の建造物はハンザ同盟時代の繁栄が見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
旧市街に点在するハンザ同盟時代の建築物、ホルステン門や邸宅、倉庫までもが登録されていて、これはかつてリューベックの最も繁栄していた頃の様子を現在に残すもの。
ちなみに、『ヴェニスに死す』や『魔の山』の作者トーマス・マンはリューベック出身。彼はスイスに亡命しますが、当時住んでいた家は、現在は記念館となっています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。